正義と微笑

numb_86のブログ

大学院重点化政策って何なの?

 http://www.asahi.com/international/update/0213/TKY201002130135.html
 アメリカのシステムについては何も知らないし、テニュアって言葉も初めて聞いたんですけどね。
 確か日本でも同じような事件があったなあと。中島義道の『孤独について』で読んだ気がする。あったあった。これです。
 広島大学学部長殺人事件 - Wikipedia
 この事件についても、今回のアメリカについても、詳細は知りません。だけど、文系の研究者が辿る末路がろくなものではないらしい、ということは知ってます。ホント、実家が大富豪でもないのに文系大学院に進学すると即座に死亡フラグが立つ、というこの状況は何とかならんのか。結局、「学究生活」などというものは、金持ちだけに許された娯楽なのだろうか。まあ、私の場合、カネ以前に才能が、才能以前に情熱が足りなかったんですけどね。それにしてもなあ。リスクが高すぎるんだよ。とても挑戦する気になれない。報われるのはごく一部の人だけ、それ以外の人は研究職には就けず、かといって研究職をあきらめて他の職に就くことも叶わずフリーターに…。はあ…。
 もっとも、「研究者」というビジネスは、そもそも成立していないんですけどね。現在進行形で研究者をやってる人たちだって、必ずしも、「研究者」としてカネを稼いでるわけじゃない。

 僕は思想史の研究者であるけれども、研究活動で食っていると思ったことはない。
 (中略)
 本当に研究活動で食っているのなら、どこの大学にも所属しないフリーの研究者としても食えるはずであるが、それでは食えない人が大半であるわけだから、これこそが研究活動で食っていないことの証である。研究者の自分を教育者の自分に従属させろ、という意味ではない。それは冒険家が冒険活動それ自体だけで食っていない(講演会などで稼いでいる)のと同じで、それでも彼やはりは冒険家である。好きな研究(冒険)を思う存分させてもらう前提として、教育(講演)者としての自分がある。

http://d.hatena.ne.jp/nakazawa0801/20090826#p1

 謙虚な中澤先生(・∀・)カコイイ!! …ではなく。
 研究者になるためには教育者となり、それで身銭を稼ぎ、その傍らで研究生活をするしかない。研究したきゃ、教育者になるしか道はない。だけどその教育者になるための道は、あまりにも険しいと。何とか、新しい道を見つけ出せないものですかね。
 それにしても、上記の引用文は、けっこう大事なことを言ってるように思います。研究者という問題をこえて、「好きなこと、やりたいこと」と「仕事」との関係について、深いこと言ってるような気がします。何気なく書かれた(と思われる)この文章には、けっこうな含蓄が含まれているのかもしれない。

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春新書)

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