正義と微笑

numb_86のブログ

この国はそもそも何をしたいの?

 我々はビジョンを持っていない。ビジョンもないまま政治を議論するという、実に不毛なことを、もうずっと前から、続けている。

我々は何を目指すのか?

 なぜ「どういう国を目指すか」という議論をせずに、いきなり消費税アップの話を始めるのか? - Munchener Brucke

そもそもどういう国を目指すかという理念があり、その次ぎにそのための手段としての政策があり、あの後に財源論が出てくる。しかも消費税アップという話はその財源論の一つに過ぎない。本来なら2の次、3の次の更に下位に置かれるべき議論なのに、なぜか1次的に議論になる。

 まったくその通りだと思います。税制や財政については不勉強なので何とも言えませんが、少なくとも上記の引用部分については、完全に同意します。この国では「そもそもどういう国を目指すか」という、根本的なビジョン、世界観がまったく存在せず、それを議論しようという気風もないように思います。
 税制だけでなく、農政も、外交も、教育も、全ては、「究極的に我々はどういう国を目指すのか」というところに行き着きます。目指すべき国の在り方、こう在るべきだという姿が、まず最初にある。ビジョンや理想、国家観と言えるでしょう。そしてそこから、そのビジョンを実現するためには、近付くためにはどうすればいいか、具体的な政策や方法論を議論していく。理想的な国に近付いていくためには、どのような経済政策を実行すべきか、外交はどういう方針で展開していくのか…。目指すべき理想像がまずあって、そこから、とるべき政策が導き出されるのです。「在るべき姿」というゴールがあり、そこに向かうための方法論を、議論・吟味していくわけですね。どういう方法を取れば、できるだけ早く確実にゴールに辿りつくのか、議論していく。それが本来の在り方のはずです。

その場の思いつきや目先の利益で、政治が動いていく

 だけど日本においては、そういう形で議論が行われることはまずありません。kechackさんが仰っているように、いきなり方法論の話から入ることがほとんどです。とはいえ、目指すべき国のかたちが定まってないのだから、議論が深まるはずがありません。本質的な議論など期待できないでしょう。目の前のことにばかり囚われ、右往左往しています。瑣末なことに意識を傾け過ぎて、大局を見失い、本質を見誤ってはいないでしょうか。また、軸となる価値観がないわけですから、その議論はいつも不安定で、ぶれ続けている。コロコロと移り変わる世論を見ても、それは明らかです。
 日本の政策論争には、軸となる、基盤となる思想や理念がない…。そう考えているのは私だけではないようで、Amazonのレビューで以下のようなコメントを見つけました。

 経済学というのは単に効率性を求めるだけの学問ではない。そこには自由や社会秩序をどのように捉えるのかという社会観の問題がどうしてもついてきてしまう。しかし、今経済を論じている人の多くはそういったことを根源的に考えているのだろうか。同時に私達も自由や社会秩序などの問題を考えているのだろうか。


Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: 市場社会の思想史―「自由」をどう解釈するか (中公新書)

 まさにその通りであって、私の問題意識をそのまま表現してくれています。
 もちろん経済だけではなく、外交だって同じです。

 長いあいだ、日本の外交政策は懸案処理、危機管理志向型であり、ある種の哲学が必要とされることを政策担当者が認識したのは最近のことである。(p210)


 従来通り経済力の増強に専念し、その結果軍事力との格差が一層拡がっていくにしても、逆に経済力に見あった軍事面での役割を担うにしても、あるいはまた諸外国による軍事行動に対し経済面での支援をするにしても、そのような選択の根底に思想的根拠がなければ、たんに状況対応型、懸案処理型のものに止まってしまうであろう。(pp212-213)


入江昭『新・日本の外交』中公新書

 そうなのです。外交に限らず日本の政治はまさに、「状況対応型・懸案処理型」なんです。この本が出版されたのは1991年、もう20年近く前なのですが、状況は何も変わってはいないように思います。目の前の事態をどうやり過ごすか、場当たり的に対処していくのが精一杯。即物的に反応するばかりで、自分たちの理念に照らし合わせて冷静に判断していく、なんてことからは程遠い。
 だけどそれでは、的確な判断を下すことなど望めません。今をやり過ごすことにばかり注力し続けた結果、やがて、大きな負債に直面してしまうのではないでしょうか。出たとこ勝負や場当たり主義を繰り返し続けたツケが、やがて回ってくるように思うのです。

遠回りのように思えても

 そもそも論にまで立ち返り、どういう社会を目指すのかじっくり議論していくほうが、確実だと思うのです。実りのある、生産的な議論が出来るのではないでしょうか。
 その場では正しいように思えても、それが妥当な判断だと思えても、大局的に考えると国の利益を大きく損なう政策だった、ということは珍しくないと思います。そもそも政治というのは、見えない未来に向かって複雑な判断を何度も重ねていく、とても困難な営みです。どれだけ議論に議論を重ねても、間違ってしまうことだってあるでしょう。その場の「ノリ」*1や「損得勘定」だけで進められるものでは、到底ありません。だからこそ、大局的、複眼的な視野に立ち、冷静に検討してから、判断を下すべきなのです。
 そして、長期的に、戦略的に物事を考えていくためには、その基盤となる理念やビジョンが、どうしても必要なのです。

 ひとつ迂遠な話をするなら、結局は思想の問題であって、アメリカに対抗できる思想体系を日本は持たなければならないと思います。哲学や思想、そして『万葉集』や『源氏物語』といった文化から民族の歴史までをも含めた巨大な思想体系、あるいは経済思想の体系がなければ、だめだと思うのです。(p270)


吉川元忠関岡英之『国富消尽』PHP研究所

 とはいえ、目指すべき国家の姿を描きだし、思想を打ち立てていくことは、とても困難な作業です。言うほど簡単ではありません。とりわけ日本人は、それを苦手としているのかもしれません。再び、Amazonのレビューから。

 思想こそがゲームのルールつまり戦略と戦術の選定を決定付けます。しかしながらこれこそ日本人が一番苦手とする分野であることは明白です。決して日本人に思想がないというのではありません。しかしながら”思想”を意識的に体系づけ整理しそこからすべての行動を演繹的に長期的な視野の下でデザインしていくことは、日本人が得意とすることではありません。


Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: 国富消尽―対米隷従の果てに

 私自身、日本は何を目指せばいいのか、どのような社会を理想とすべきなのか、さっぱり分かりません。何も見えていないと言っていいでしょう。
 どういった国を目指すべきなのか、在るべき社会の姿とはいかなるものなのか。そういったことを考えていくと、やがて、「そもそも「正しさ」とは何か」「正義や善を判断する際に何を基準にすればいいのか」といった問題に行き着きます。価値観が問われるわけです。だけど私には、これといった「価値基準」がありません。何を価値判断の根底に据えればいいのか、分からないのです。
 何も分からない私ですが、いや、もしかしたら何も分からないからこそかもしれませんが、世界観やビジョン、そしてその出発点となる「価値基準」や「価値観」の必要性だけは、痛感しています。やはりそれ無しでは、どんな議論も打ち立てられないのです。議論を開始できないのです。
 容易なことではありませんが、それでも、自分たちが目指すべき理念を打ち出し、それに基づいて大局的な戦略を描いていくことから、始めるべきなのではないでしょうか。



新・日本の外交―地球化時代の日本の選択 (中公新書)

新・日本の外交―地球化時代の日本の選択 (中公新書)

国富消尽―対米隷従の果てに

国富消尽―対米隷従の果てに

*1:郵政民営化」や「政権交代」というスローガンを真摯に吟味し、それから投票を行った有権者が、どれだけいたのでしょうか。