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正義と微笑

numb_86のブログ

曖昧・非効率・惰性、それこそが経済の中心

 商売において、買い手と売り手は対等である。それが本来の姿である。そう思った。
 そして、そんな理想とは程遠い自分たちに対して、苛立ちを感じたりしていた。
顧客を「神」と崇めることで成り立っている企業、労働ダンピングで成り立っている企業 - 正義と微笑


 だけど、買い手に対して対等に渡り合える企業が、どれほどあるのだろう。
 付加価値を提供し、顧客はそれに見合った対価を支払う。それは確かに、理想的な姿だ。でも、「付加価値」なんてものは、そうそう生み出せるものではない。付加価値の高い商品の開発は容易ではなく、付加価値のあるサービスを提供できる人材も、そう多くはいない。競争力のある企業なんて、むしろ少数派だろう。
 ほとんどの企業は、大した価値を生み出してはいないのでは?
 そういう企業は別に、価値を提供しているから収益を得ているわけではない。

人間は合理的な存在か?

 消費者は消費者で、別に、付加価値への対価としてカネを払っているわけでもないと思う。
 理論やモデルでは、商品がもたらす価値を計算したり、類似した商品と比較したりして、判断を下していく。機械のように。商品の価値、価格、自分の手持ち、その他諸々の要素を考慮し計算し、最適な答えをはじき出す。
 だけど実際の人間は、そうじゃないだろ。 常に「合理的な」購買活動を行っているわけではない。
 同じ商品を惰性で買い続けたり、一番身近にあった商品を何となく手に取ったり、新しいサービスは敷居が高くて結局は旧型のサービスを利用し続けたり、本当は経費・手数料を削減できるけど面倒だからそのままにしたり。
 それが本当の姿だと思う。

この世は非合理・非効率によって成り立っている

 モヤモヤして、ファジーな、決して効率的ではない取引。理論化も数値化も出来ない、「現実の」経済。
 経済の大部分は、そういう取引によって成り立っているんじゃないかなあ。普通で平凡な大半の企業は、そういう取引によって支えられ、存続出来ているように思う。
 効率的ではなく、付加価値も生み出さないような、そんな取引を駆逐していったら、日本のほとんどの産業は崩壊してしまう気がする。純粋に商品やサービスの質で勝負している企業が、どれだけあるよ?効率化を推し進めれば進めるほど、ほとんどの商品・企業が、「非合理・低価値」と判断されて消滅しまうのでは?
 


こんなビジネスモデルもありなのかな・・って。

使いもしないクレジットカードを、
なんの見返りもないのに、
年会費払って申し込んでくれるなんて、
なんていい人なんだろう、って思ってたけど
お客さんもちゃんと見返りを得ていたんですね。
信金の渉外のあの子を喜ばせた(救った)」っていう満足感。

がんばれ!信用金庫:渉外係