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正義と微笑

numb_86のブログ

コミュニタリアニズム

 自由主義。その構成要素は、大雑把に3つに分けられると思う。
 一つ、資本主義。
 一つ、民主主義。
 一つ、価値相対主義、あるいは功利主義

 *1


 技術の発達やライフスタイルの多様化、経済の停滞、そういったものによって資本主義が変わるかもしれない。ここ何回かの記事でそう書いた。
 では他の二つはどうだろう。変わるのだろうか。
 たとえば、価値相対主義が抱える課題は、超克されるのだろうか。


 価値相対主義が抱える課題とは何か。
 道徳の喪失。「他人に迷惑をかけなければ何をしても個人の自由」ということになり、個人を縛る規範が無くなってしまう。道徳律、価値の絶対軸が失われてしまう。その結果どうなるか。社会には混乱や不調和がもたらされ、個人は価値基準を失い、放縦な根無し草となる。*2


 それを克服するものとしてよく挙げられるのが、コミュニタリアニズム。『自由主義の再検討』にも取り上げられている。残念ながら私にはよく理解できなかったが、価値相対主義自由主義の陥穽を乗り越えるものとして、ずっと興味があった。
 共同体主義と訳されるように、共同体を重視する。人間は生まれながらに何らかの共同体の中に存在しており、その中で善悪の基準を獲得していく。他者との関係の中で、自己を構築していき、善悪を区別していく。


 この「共同体」に「ソーシャル・メディア」を重ね合わせるのは、さすがに無理があるか。これまでに無い人間関係が構築されつつあり、従来の地域共同体や企業共同体に取って変わろうとしている――。やはり荒唐無稽だ。
 しかし、現在が過渡期であり、働き方や消費スタイルのみならず「人と人とのつながり」の形が変化してきているのも、事実だ。新しい連帯やつながりが、生まれてきている。抑圧的で封建的な地域社会でもなく、若者に評判の悪い会社共同体でもなく、かといって孤立しバラバラとなった「遊離せる自我」の集合体でもない。新しい「共同体」や「連帯」が生まれようとしている、のかもしれない。

*1:藤原保信『自由主義の再検討』の受け売りです。

*2:自由主義の再検討』でいうところの、「負荷なき自我」や「遊離せる自我」。