読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

正義と微笑

numb_86のブログ

巽完二に学ぶ、コンプレックスの乗り越え方

 今でこそ信金マンとして何とか社会に紛れ込んでいる私だが、つい最近まではコンプレックスに苦しみ、社会への不適応を起こしていた。
 程度の差はあれど、コンプレックスを抱え苦しんでいる人は多いのではないだろうか。アイデンティティを確立しきれておらず、自意識も肥大しがちな若者は特に。
 この記事では、我々と同じようにコンプレックスに苦しみながらもそれと向き合い、「本当の強さ」とは何かに気付いた巽完二という人物を取り上げてみる。そして彼の事例を通じて、コンプレックスとの向き合い方、乗り越え方を、考えていきたいと思う。

「男なら強くなれ」

 巽完二は、地方都市在住の高校生であり、いわゆる不良である。地元の暴走族を一人で潰したという伝説を持ち、周囲から恐れられている。
 しかし実際の彼は、たしかに言葉遣いは悪く手も早いが、真っ直ぐで素直な心根を持った青年である。そして、裁縫や料理が得意であり、可愛いもの好き、動物好きという一面も持っている。子供の頃は、ボール投げよりもままごとが好きな男の子であった。
 そしてそれこそが、彼のコンプレックスである。男らしくない趣味や趣向を持った彼は周囲にからかわれ、馴染めず、孤独な幼少時代を送ることになる。「男らしくない」「似合わない」といった言葉を浴びせられ、ありのままの自分を見せることに恐怖を抱くようになっていく。
 彼の父親が最期に残した「男なら強くなれ」という言葉も、彼を縛っている。父親にまで「女々しいヤツだ」と言われたような気がして、悔しかったという。
 そして彼は、自分の趣味を隠し、他人と距離を取り、「暴力」という「強さ」を身に付けていく。誰も寄せ付けないようにしながら、ケンカに明け暮れる日々を送ることになる。警察にも何度かお世話になっていたらしい。

シャドウとの対峙

 高校に入ってからも荒れていた巽完二だったが、1年生の5月の終わりから6月の頭にかけて、ある事件に巻き込まれる。
 そして、とある怪奇現象(超常現象?)によって彼は、「シャドウ」と呼ばれる存在と出会う。「完二の影」という名を持つそのシャドウは、巽完二が今まで抑圧してきた心の声が具現化したものだという。
 「やりたいようにやって何が悪いっての!?」と叫びながら襲ってくるシャドウ。なんとか打ち倒すものの、「ボクを受け入れてよおおお!」となおも絶叫しながら向かってくる。そんな「もう一人の自分」を完二は殴り飛ばす。そして、「こんなのがオレの中にいるなんて情けない」と言いつつも、「テメエはオレで、オレはテメエだよ!」と、もう一人の自分を受け入れる。「拒絶されるのが怖くて、自分から嫌われようとしているチキン野郎だ」と己を振り返る完二。そして自分自身と向き合うことによって彼は、「ペルソナ」という、シャドウと対抗するための力を手に入れるのだった。


 ここでいう「シャドウ」も「ペルソナ」も、共に架空の概念だが、「抑圧された自分」や「それを受け入れる」というプロセスは、リアルだと思う。

 コンプレックスの力が強くなるに従って、自我はその安定をはかるために、いろいろな手段を用いる。これがいわゆる自我防衛の機制である。自我にとっては、先ずコンプレックスを完全におさえつける。すなわち抑圧の方法が存在する。


河合隼雄『コンプレックス』岩波新書 p77

 完二も、自分のコンプレックスを抑圧し、それを自覚できていなかった。どこかで気付いていたかもしれないが、目を背けていた。自覚できていないというよりは、認めることが出来ていなかったといったほうが、的確か。
 しかし、「シャドウ」が現れたことで、「もう一人の自分」と対峙することを余儀なくされる。そして、それを受け入れるにいたる。そうすることで「ペルソナ」という新しい力に目覚めた。
 「倒す」のではなく、「受け入れる」というのが、示唆的。
 完二以外にも「ペルソナ」の力を獲得している者が複数いるのだが、いずれのケースでも、「シャドウ」を受け入れるというプロセスを経て、能力を獲得している。「本体」である能力者が「もう一人の自分」であるシャドウを拒絶することによって、シャドウが凶暴化し襲ってくるというのも、共通。無理に抑えつけようとすればするほど、コンプレックスは強力になっていくのだ……。
 コンプレックスを克服するには、それを否定するのでもなく、打ち消すのでもなく、受け入れることから始めなければならない。

少年との出会い

 シャドウに襲われたときに出会った、高校の先輩たち。同じ「ペルソナ」の能力を持つ彼らと過ごしながら、自分自身の弱さと向き合おうとする完二。しかし、弱さを受け入れたからといって、そう簡単に変われるわけではない。何も変わってないような気がして、焦りばかりが募る。
 そんな中、偶然出会った少年に編みぐるみをつくってあげたことで、転機が訪れる。裁縫という、今までひた隠しにしてきた特技によって人に感謝されるという、思いがけない体験。少年と関わっていくなかで、完二のなかの何か少しずつ変わっていく。「強さ」とは何なのか、考え始める。


 コンプレックスを克服していくことは、容易なことではない。
 完二と高校の先輩との関係は「コミュ」と表現されているのだが、まさにコミュニティのなかでこそ、人の心は育っていくのではないだろうか。私自身、大学や職場での人間関係のなかで、いろんなものを獲得していった。そういう意味で、学校や職場などで人間関係を「強制」されるのも、大切かもしれない。人と関係を築いていく力が弱い人は特に。
 もちろん、「強制」されればよいというものでもない。大学や職場では上手くいったが、小中学校の頃は馴染めず、むしろそれが原因でドロップアウトしていった。巽完二にしても、シャドウとの対峙という経験を経たからこそ、先輩や少年との出会いを活かせたのだろう。何よりもまず「本人の意思」がなければならない。

「オレらしく」アンド「オレを分かってもらおう」

 そしてついに完二は、自分がやるべきことは何なのかに、気付く。
 これまでの素行の悪さが祟り、警官にあらぬ疑いをかけられる完二。「警察はいつもそうだ」と言わんばかりに苛立つ彼だったが、編みぐるみの少年や、慕っている高校の先輩まで巻き込みそうになり、ついに決意する。
 身の潔白を証明するため、自分の趣味や趣向を警官相手にまくし立てていく。偶然通りかかった彼の母親も、彼を擁護する。自分を分かってくれる人たちの存在に改めて気付き、思わず彼は涙ぐんでしまう。


 後日、高校の先輩相手に、自分の中の気持ちの変化について語る。
 今までの自分は間違っていた。表面的な強さばかり求め、そんな自分に酔っていただけで、「強さ」を履き違えていた。実際は、周りの目が怖くて、遠ざけていた。本当の強さとは、自分を誤魔化さずに「オレのままのオレ」でいること。父が言いたかったのは、そういうことだった気がする。少年のように受け入れてくれる人、母親にように分かってくれている人、そういう人たちがいるのなら、もうビビらない。
 傷ついたとしても自分を貫こうと決めた完二には、もう一つ気付いたことがあるという。それは、自分を理解てもらおうと努力すること。自分の趣味を馬鹿にする連中に対しても、疑ってくる警察に対しても、「分かってくれないならそれでいい、仕方ない」と思っていたという。だけど、そういう人たちを切り捨てて、分かってくれる人たちとだけ付き合っていくのは間違いだと、気付いた。
 そして彼は宣言する、「オレらしく」アンド「オレを分かってもらおう」で行くんだ!と。
 弱さを乗り越えようとする強い意思に目覚めた彼は、新しい「ペルソナ」の力を手に入れる。
 そして手始めに、「オレらしく」の証として自作の携帯ストラップを先輩に手渡し、「オレを分かってもらおう」の実践として今から「ぬいぐる鍋つかみ作成教室」を開催すると宣言するのだった。


 シャドウとの対峙。
 高校の先輩との出会い。
 少年との出会い。
 警官とのイザコザ。
 全てが、絶妙のタイミングで訪れている。
 先程の河合隼雄の本で初めて知った言葉でなのだが、心理学の用語で「布置(ふち)」という言葉がある。

 個人の精神が困難な状態に直面したり、発達の過程において重要な局面に出逢ったとき、個人の心の内的世界における問題のありようと、ちょうど対応するように、外的世界の事物や事象が、ある特定の配置を持って現れてくることを、布置(コンステラツィオーン,独語:Konstellation)という。


分析心理学 - Wikipedia

 この外界と内界の状況の不思議な呼応性には、全く驚かされることが多い。このようなとき、その原因は不問として、布置が形成されているという事実に注目する。


前掲書 p104

 これについては勉強不足なのでちょっとわからないが、完二の場合もまた、布置が形成されていたのかもしれない。
 私も、大学時代から、「出会うべき時期に出会うべき人と出会えているなあ」と思うことが少なくなかった。いま思えばこれが「布置」というやつなのだろうか。「思わず神の存在を信じたくなってしまう」などと当時の日記には書いていたが。


 先ほど、コミュニティや人間関係が大事だと書いたが、自分を受け入れてくれる人たちとばかり過ごしていても、ダメなのだ。私もそういう考え方だったので、痛いところを突かれた感じだ。波長の合わない人を「ダメな人」「嫌な人」「苦手な人」だからと遠ざけ、切り捨ててきた気がする。これから先は、「在るがままの自分を貫く」だけでなく、「在るがままの自分を理解してもらう」という視点も必要なのだろう。


 そのことに気付いた完二は、新たな「ペルソナ」の力を発動させている。
 ここでいう「ペルソナ」は架空のものだが、コンプレックスを受け入れ超克することで高みに近づけるのは、間違いない。確実に、己の成長に寄与する。

 コンプレックスを拒否したり、回避したりすることなく、それとの対決を通じて、死と再生の体験をし、自我の力をだんだんと強めてゆくことが自己実現の過程なのである。


前掲書 p210

ペルソナ4

 今更だけど、巽完二は架空の人物です。『ペルソナ4』というゲームの登場人物の一人。「ペルソナ」と「シャドウ」についても、心理学用語のそれとは別で、あくまでゲーム中の概念として捉えてください。
 コンプレックス云々とか小難しいこと抜きに、ゲームとして非常に完成度が高いので、ぜひ遊んでみてください。


ペルソナ4

ペルソナ4


コンプレックス (岩波新書)

コンプレックス (岩波新書)


 アニメ化も楽しみです。

D