正義と微笑

numb_86のブログ

思想家の仕事

 本を読んでれば当然、面白い本もあれば退屈な本もある。その違いはなんだろう。同じ本でも読む時期によって評価が変わったりするから難しいけど。


 問題意識が明確であるっていうのは、重要。
 どういった問題意識に基づいており、何について論じているのか。それが明快な文章に惹かれる。逆に、ただひたすら事実関係についてダラダラ述べているようなものには、魅力を感じない。そういった本にも意義はあるのだろうけど。「本質」とは程遠い、瑣末なことをグダグダとやってるような気がして、かったるい。読むのが苦痛になってしまう。「お前は結局何が言いたいんだよ!」と突っ込みたくなる。


 やっぱり、文脈に基づいていてほしいな。事実を羅列したり事実関係を説明したりするにしても、「なぜそんなことをするのか」を明確にしておいてほしい。それにどんな意義があるのかを。「意義とか分からないけど取り敢えず知ってることを説明しました」的なものは、ちょっとね。


 その点、『自由主義の再検討』や『市場社会の思想史』といった俺の好きな本はどれも、明確な目的に基づいて書かれてある気がする。文脈があり、それに沿っている。
 もちろん、特定の文脈に基づいて本を書いていけば、特定の事実だけを抜き取って記述することになってしまうかもしれない。他の部分、文脈には関係のない部分は、切り捨てられてるのかもしれない。だから、そういったことには注意が必要だ。
 だけどそれは読み手が気をつけるべきこと。書き手は、自分の思想を表現するために、事実の中から必要な部分を大胆に切り取ってしまって構わないと思う。むしろそれこそが思想家や専門家の仕事だろう。膨大な事実、現実を、どう射抜くか。どのような角度から現実を観るか。そのための視座や、考え方の枠組み。それを示すのが仕事。

 自分なりの見方がなければ、いかに多くの文献を読み、知識を仕入れても、そこから自分の問題を発見することはできないだろう。また、この情報化の時代にあっては、逆に該博な知識や情報に呑み込まれてしまい、それらを相互に関連づけたり、解釈することもできなくなってしまう。自分なりの「視角(パースペクティブ)」を手に入れることによってはじめて、全体的な「展望(パースペクティブ)」が得られるはずではなかろうか。だが、そのような「展望」が、今日の高度に専門化した社会科学には決定的に欠けているのである。

佐伯啓思『20世紀とは何だったのか』PHP新書