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正義と微笑

numb_86のブログ

議会制民主主義について

 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201109/2011090300151


 防衛相の「素人」発言。ネットではいろいろな意見が寄せられているが、自らを素人だと名乗る人に政治を任せてもいいのだろうか。国防や文民統制については詳しい人に教えてもらうとして、今回は民主主義について、考えてみたい。

政治家は専門職であり、プロフェッショナルである

 結論から言えば、やっぱりダメだろう。政治家が政治に対して無知では困る。



 政治家というのは、政治のプロでなければならない。決して素人の代理人などではない。無知であること、有権者と同じ目線であることを売りにする政治家もいるようだが、市民感覚(という名の素人感覚)で政治をされたのでは困る。政治というのはきわめて高度で専門的な行為であり、素人に出来るようなものではない。

しかし知識は不要

 政治家はプロでなければならない。しかしそれは、必ずしも各政策の専門家になることを意味しているのではないと思う。
 そもそも、あらゆる分野の専門家になることなど、不可能。
 そして、専門家が必ずしも正しい判断を下せるわけではない。実行力という問題があるし、説明能力や、重圧に耐える胆の太さも求められる。
 やはり、政治家が獲得すべきスキルとは知識ではないはず。必要最低限の基礎知識は不可欠であるにしても。そういう意味では、専門家同等の知識を持つ必要はないという意味では、「素人」でもいいのかもしれない。

知識よりも、属人的な能力

 では、政治家に求められるプロとしての能力とは、一体何だろう?



 まさにそんな感じだと思う。
 的確な判断を下すための視座。そしてそれは、豊かな教養や哲学によって養われる。
 正しいと判断したことを実行する能力。それは、胆力や表現力、交渉力といったものに支えられている。


 かなり抽象的になってしまうが、こういう能力こそ、政治家に必要なのだと思う。こういった能力を具えた者こそを国会に送り込むべきであり、知識の多寡はさほど問題ではないはず。

我々がすべきこと



 庶民には、各政策を判断する能力も余裕もない。我々にできることと言えば、せいぜい、たしかな見識を持つと思われる信頼できる人物を選び出し、我々の代表として議会に送り出すことぐらいだ。そうして集まった各代表者たちが議会の場で議論を重ね、そこで導き出された結論を、我々の選択として受け入れる。
 それが、議会制民主主義の本来の理念だったのでは?


 ミルが警告したのは、「世論」というあいまいな情念が支配する民主政治の陥るバルガーライゼーション(俗悪化)であった。
(中略)
 古代ギリシャ以来よくしられたこの民主制の堕落に関する法則から逃れるために、ミルが提示したのは代表者に政治的決定を委託する代議制であった。代議制だけが、民主制の堕落をかろうじて回避することができるのではないか、とミルは期待した。


佐伯啓思「民主政治の空騒ぎ」『表現者 2006年1月号』