正義と微笑

numb_86のブログ

自尊心が低い人は、自分が好きなのか、嫌いなのか


 備忘録的に。


 自己肯定感や自尊心の問題について、みんなで考えていきたい。昨日の記事にそう書いたところ、



 今朝、こんなご意見を頂きました。
 実際には、私に向けたものでも何でもないのですが、都合よく「これは俺に向けたメッセージに違いない」と勝手に解釈してしまう、非常に電波なモードになっておりますので、皆さんもお気を付けください。



 しかももう、解決してるしね。


***


 だけど、自分でもちょっと考えてみたので、記録として残しておく。


 「自分はダメだ。と思い込む事は、自分の理想の基準が今より高いからそうなる」。
 確かにそういうところはあるかもしれない。
 自分はこのままでいい、ありのままでいい、これが俺だ、そう心から思えたなら、「自尊心の低さに苦しむ」ような状態にはならないだろう。
 だけどそのとき問題になるのが、「一体それは誰に与えられた理想なのか」ということだ。


 俺が思うに、自己肯定できずに苦しんでいる人っていうのは、他者の価値観や枠組みに縛られていることが多いのではないだろうか。
 たしかに何がしかの「理想」を持っていて、それとのギャップに苦しんでいるわけだけど、それは本当にその人の理想なのだろうか。
 違うと思う。
 それは、他者やら世間やら、そういったものが生み出した理想だ。「こう在らなければならない」という抑圧を周囲から受けて、それに囚われて苦しんでいる。より正確にいえば、「他者が作り出したと本人が思い込んでいる枠組み」だ。そんな抑圧、本当は存在しないんだけど、本人が勝手に、あると思い込んでる。
 そういう歪んだ「理想」に囚われ、それと「現実の自分」とのギャップに苦しんでいる。それが、冒頭で紹介したツイートでいうところの「自分はダメだと思い込んでいる状態」ではないだろうか。


 自分自身で生み出した、自分の内から湧いてくる「理想」なら、苦しくないと思うんだよな。つらいし、悩む事もあるけれど、息苦しさみたいなものは、少ないと思う。自分で目指しているものだから。「理想とは程遠い自分がイヤだ」という気持ちより、「理想に近づけるように足掻きたい、頑張りたい」という気持ちのほうが、強くなる。誰かに押し付けられたものじゃなくて、自分で目指しているものだからね。


 それに、自分の理想を見つけている人は既に、ありのままの自分を肯定できている状態であることが多いように思う。その相関関係はまだよく分からないけど。
 自分を肯定できる、自分自身を信じられる、だから、自分が夢見た理想のこともまた、信じ、追い掛けることができる。


***


 せっかくだから、もう少し思考を続けてみる。


 「自分自身への理想が高い事は自尊心の高さの裏返しじゃないのかなぁ」。
 それに対する、「それは自尊心というよりプライドでは?」という返信。

 至極もっともだ。そういう意味では確かに、自尊心が低い人たちは、プライドが高かったりする。プライドが高いというか、自己愛が強い。ある意味、自分大好きなのだ。そしてその事と、「自尊心や自己肯定感が低い」こととは、矛盾しない。
 自分のことが大好きで、でも今の自分じゃ「ダメ(世間に受け入れてもらえないとか、他者から愛されないとか)」だいう意識も、持っている。ここでいう「自分大好き」は、自分のことを肯定しているというより、単なる「我が身かわいさ」に近いんじゃないのかな。
 これについて、下記の記事が鋭い。素晴らしい内容なので、ぜひ読んでみて欲しい。


 傷つきやすい人が救われるために実践すべきこと|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

その疑心暗鬼はどこからくるのか。たぶん、過剰な自己愛だ。傷つきやすい人の頭の中に他人はいない。いい古されたことではある。他人の言動が気になるのは、その人に興味があるからではなく、その人の目に映る自分が気になるからだ。
(中略)
自己愛なんかじゃない、私は自分が嫌いだという人がいる。そうだろうか。本当に自分が嫌いな人は人に好かれたいなんて思わない。
(中略)
ところが、人には好かれたいのに自分が嫌いだという人がいる。これは「人に好かれない自分は嫌い」という意味なんだろうと思う。だから、人に好かれた途端「自分大好き」になる可能性は高い。