正義と微笑

numb_86のブログ

ネトウヨの惨めさ、あるいは、小林よしのりの孤独な戦い

 いつもとはちょっと違う感じの内容ですが、私にとっては違和感はないです。根っこの部分は同じだと思っています。


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 人は誰だって、何かに頼らずにはいられない。ネトウヨの連中は、たまたまそれが「愛国心」だったんだろう。
 人間には拠り所が必要であり、何かに頼ることは悪いことではない。誰だってそうだ。
 だけど、頼るものを間違えれば、何かが狂っていく。特に、依存する先が一つしかない場合は、リスクが跳ね上がる。複数の支えを持っている人に比べて。
 人にはそれぞれの拠り所があって、そこに優劣はないのかもしれない。だけどやっぱり、「望ましいもの」と「望ましくないもの」は、ある。
 アルコールは多くの人の支えになっているし、ギャンブルも、ストレス解消に役立っている面もあるのだろう。だけど、過度に依存すれば、そしてそこしか支えがないのであれば、破滅へ一直線だ。


 ここ数年は「愛国心」とか、右翼的なものが依存先・逃避先として人気だった。いろんな要素があってそうなったと思うんだけど、それはあくまで、近年の話だと思う。
 昔は右翼的なものはもっと不人気で、むしろ左翼的というか、リベラルなものが依存先として人気だったのではないか?
 「弱者」「反権力・反官僚」「環境」「人権」……。
 そういうキーワードのほうが、有力だったはず。それが、いろんな変遷を経て、右側に比重が移っていったのだと思う。


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 こういった事を考えるときによく、小林よしのりを思い出す。
 小林よしのりという人間は、世間的にはどういうイメージがあるのだろう。あまりいいイメージは無いんだろうな。右からも左からも。
 だけど俺は、小林は、とても真摯に誠実に思考している人だと思っている。その主張の内容に賛同できるかはともかく。「たかが漫画家」とバカにされるが、「たかが漫画家」だからこそ、教条主義に囚われず、言論村のしきたりにも縛られず、自分の信念や良心に従って、行動できる*1。そういや昔は、台湾のブラックリストに載って入境禁止になったり、オウム真理教に暗殺計画を立てられたりしてたなあ……。


 小林が一躍有名になった『戦争論』のテーマは、「公と私」だ。案の定、世間は、「大東亜戦争肯定論」という派手な部分にばかり注目していたけど。
 詳細はこれから紹介する浅羽通明氏の書籍で読んで欲しいんだけど、小林は『戦争論』以前、薬害エイズ問題に取り組んでいた。表現者として読者に訴えかけ、それなりに成功したのだと思う。リアルタイムでは知らないから、何とも言えんが。
 だがその後、小林にとって予想外のことが起こる。多くの若者が、小林の呼び掛けに応じて、厚生省への抗議活動に参加した。そこまではよかった。だが、政治活動や抗議行動に「味をしめた」若者たちは、共産党やそれに類する組織に、オルグされていったのだ。
 それまでの小林が理想としていたのは、「強い個人」「確立された個人」だったという。そういう個人が、必要に応じて集まり、連帯し、活動する。そしてそれが終われば再び、職場や家庭といったそれぞれの「持ち場」に戻っていく。それを理想としていた*2
 しかし、多くの人間は、大多数の普通の人間は、そんなに強くはないのだ。ここで小林は、そんな世界を批判して自分の妄想の世界に引きこもるのではなく、自らの発想を変え、新しい道を模索していく。ここらへんも、やっぱり誠実だなあと思う。
 そして『戦争論』で、いわば「個人の依存先・逃避先」として、「国家」を、ナショナリスティックなものを、用意したのだった……。


自らの存在理由をめぐる不安を解消したくて、社会問題へ関心を寄せ、正義の側へ加担することで安心したがる若者たち……。


浅羽通明ナショナリズム』ちくま新書 p17

オウム真理教ほかの新宗教共産党ほかの左翼運動が、グロテスクなその代用品だとしたら、本来、誰もがそこからアイデンティティを汲みとるべき集団、その一員であると実感することで、生き甲斐と安心を享受できる集団とは、具体的に何だろうか。
社会、公、世の中、人々などと呼ばれるこの集団とは、とどのつまりは「国」なのではなかったか。


前掲書 pp18-19

むしろ自由からの逃走を選んで共産党へ組織されていった平成の若者たちをみた小林よしのりは、以後、逃走する先として、より望ましい先として「民族」「国家」を見直し始め、『戦争論』のナショナリストとして世に知られるようになってゆく。


浅羽通明アナーキズム』ちくま新書 p269


 ご存知のとおり、『戦争論』は、この手の書籍としては爆発的に売れた。現在まで続くネトウヨブームに、少なくない貢献をしたと思う。
 そう、「国家」は、「逃走する先、アイデンティティを汲みとる先」として、それなりにメジャーになったのだ。じゃあ、小林が望んだ世界に少しでも近づいたのかというと……。


 結論から言うと、何も変わらなかった。朝鮮半島を蔑視し、ネットの世界で居丈高に吠えたけり、過激で好戦的な発言をして自己陶酔している。そんな「酷使様」と、共産党オルグされていった若者と、一体何が違うと言うんだ。何も違わない。右と左が入れ替わっただけだ。
 小林が望んだ通りにはならなかった。それどころか、「国」までもが、「グロテスクな代用品」と同じところまで堕とされてしまったのだ。
 もちろんそれは、小林よしのりが悪いわけではないんだけれども。

これ(注・ナショナリズムなどの「思想」)を、病気そのものではなく、病気に対する薬、身体的不自由に対する杖とか眼鏡のような補助具と考えるのが私だ。つまり、ある病状へ陥った人もしくは集団が需要する対症療法である。だから、薬石効なき時もあれば、中毒や依存症もあり、完治して不要となる例も、持病化して服用が生涯続く場合もあるというわけだ。
この伝でゆけば、ナショナリズムとは、コスモポリタンとして生きるのは弱すぎる者たちが必要とする補助具となろうか。


ナショナリズム』 p 291


 俺は、浅羽通明のこの考え方に、それなりに共感するところがある。そしてネトウヨの皆さんは、悲しいかな、重度の中毒者、しかも悪い使い方を覚えてしまったジャンキーにしか、見えないのだ。


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 人は誰だって、何かに頼って生きている。支えがいらない人なんて、ほとんどいない。だから何かに依存するのは、別に悪いことじゃない。だけどその対象や、バランスを間違えれば、何かが狂っていく。


 これは、小林よしのりの熱心な読者、支持者にも、言えることではないだろうか。


 会社を辞めて時間ができて、久しぶりに小林の作品を手に取ってみた。編集長を務める『前夜』という雑誌。

前夜 ZEN?YA

前夜 ZEN?YA


 浅羽通明切通理作吉田豪笹幸恵といったお馴染みのメンバーに加え、古市憲寿や中野剛志などの勢いある「若手」も名を連ねています。面白かったよ。古市さんがいたのは意外だけど。

 『前夜』は無くなり、以前やっていた『わしズム』を復刊させるらしい。それは割とどうでもいいのだが、なんと、以前の『わしズム』同様に、小林よしのり自身が表紙になるらしい。昨日発売された『SAPIO』によると、そういう要望が各方面から寄せられたらしい。

 若くてきれいな女優より、50過ぎたオッサン漫画家が表紙のほうがいいって、どういう価値観だよ!!!理解できねえよ!

 先述したように、内容そのものというより、小林よしのりの、その姿勢に、共感するところが多い。今後も、応援していきたい。だけど、小林の熱心な読者と、俺とでは、価値観がかなり異なるようだ。っていうか、『前夜』や『わしズム』を熱心に読んでいる人たち*3って、世間から微妙にズレてしまっているんじゃないのかな。やっぱり。


 小林はよく、閉鎖的な論壇に対して、「右も左もタコツボ化している」と批判している。俺も本当にそう思うんだけど、小林よしのりの読者層もまた、「小林派」としてタコツボ化しているように思えてきた。もちろんそれを理由に小林を批判するのは、お門違いだとは思う。だけど、なんというか、ものすごく孤独な戦いを続けているように思えてならないんだ。



ナショナリズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

ナショナリズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

*1:大東亜戦争肯定、対米追従批判、核武装反原発、反ネオリベ、台湾独立派……。昔は薬害エイズで、厚生省と戦ってた。こんなのが成り立つのは、この人だけだと思う。そりゃ味方もいなくなる。

*2:事実、その後の「新しい教科書をつくる会」(現在は退会)で活動していた際は、自分の読者に「(あくまでも)よき観客でいてくれ」という趣旨の発言をよくしていた。

*3:まあ、俺もここに含まれるわけだけど