正義と微笑

numb_86のブログ

ひきこもりを克服するために、取り組むべきこと

 正確には、「ひきこもり」というより、自意識過剰で何かを恐れてばかりいる若者、かもしれない。そういった若者が、適度な自尊心や自己愛を手に入れ、社会復帰するには、どうすればいいのか。

マニュアルを学び、マニュアルに従うということ


 ひきこもりが社会復帰しようとすると、様々な壁にぶちあたる。そのひとつが、己の無知。


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 純粋に、世間のことを知らない。分からないことばかり。ファミレスでメシを食うのも、喫茶店でコーヒー飲むのも、映画館で映画を観るのも、どうしていいか分からない。やり方が分からない。
 そんなもんに、やり方もクソもあるかよ。そう思うかもしれない。俺も今は、そう思う。だけど、本当に分からないんだよ。やったことないから。
 俺も、電車に乗って繁華街に行くだけで、ドキドキだったね。繁華街で遊ぶ訳じゃない。「電車に乗って繁華街に行くこと」そのものが、冒険だったのさ。小学生の話じゃない。10代後半の男が、そんなザマだったんだ。


 分からないなら、店員なり係員なりに聞けばいいじゃないか。どうせ大したことはないんだから、実際に経験してみて学べばいいじゃないか。
 それも正論。
 だけど、出来ないんだよなあ。これは人によって違うかもしれないけど、恥ずかしいんだよ。怖い。失敗したらどうしよう、間違えたらどうしよう、そういう気持ちが強すぎて、身動きが取れない。試すことも、質問することも、出来ない。実際は誰も、そんなこと気にしないのにね。
 強すぎる羞恥心。過剰すぎる自意識。
 そういうとき、ネットは本当に便利だと思う。俺も、散々ネットで調べてから行動していた。


 だから、ひきこもりを克服していく上で、世間を知ることはとても大事。買い物の仕方とかファミレスの利用方法とか、そういう、ある種の「マニュアル」を知ることで、身動きを取りやすくなる。


 マニュアルを学び、マニュアルに従う。
 ひきこもりを脱していく上で、それはとても大事なことだ。
 「自分はちゃんとマニュアルに従って行動している」という意識は、心理的な負担が少ない。「大丈夫かな、変なことしてないかな、俺」という疑心暗鬼で行動するのは、かなりツライ。
 自分なりにマニュアルを学び、それに従って行動を重ね、経験値を増やしていく。それがベターだと思う。もちろんその過程で、恥を掻いたり失敗したりすることは、避けられないだろう。だが、少しでもそのリスクを減らすためにも、マニュアルを学ぶことはやっぱり有効だ。

マニュアルや世間に囚われない、自由な心


 じゃあ、とにかくネットや実践を経てマニュアルを学び続け、自然とそれに従えるようになればいいのか。
 それは違う気がするんだよな。
 ひきこもりの人たちが、何を目指すべきか。ゴールをどこに設定するか。
 もちろんそれは、人によって違う。
 だからこれから書くことは、あくまで、俺の個人的な理想に過ぎない。
 だけど、肥大した自意識を持て余している若者が目指す先として、あながち間違ってはいないと思うんだ。



 http://hamusoku.com/archives/6615107.html

39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/01/12(木) 19:18:43.68 ID p3PDQObn0
マジレスするとリア充はぐいぐい行って駄目ならそれまでって思ってる
つまり気の合わない人間とは無理してつるまない
そして自分で自分を肯定してるから嫌われることも平気


 2ちゃんねるまとめサイトからの引用だから、さすがに平易な記述だ。
 理想を一言で示すことなんて勿論出来ないが、上記のような状態が、在るべき姿の一つだと思う。
 別に「リア充」とやらになる必要はないが。
 他者からの拒絶や否定を、過度に恐れない。拒絶に気付かない訳ではなく、分かったうえで敢えて、勇気と自信を携えて前へと踏み出す。
 ちょっとやそっとの否定では、傷付かない心。
 それを目指すべきではないか。
 ただひたすらマニュアルに従っていては、周囲の顔色を窺ってばかりのところから、脱却できない。
 何が正しいのかを周囲や他者に決めてもらい、そこからはみ出さないことをモットーとする人生。そんな日々が楽しいものだとはとても思えないし、そんな態度で自分の人生を充実させることが出来るとは、思えない。


 ひきこもりは、分からないことがあっても店員に質問することが出来ない。取り敢えず試してみるということが、怖くて出来ない。
 先ほどそう書いたが、それが出来る状態になることこそ、ひきこもりのゴールではないだろうか。
 己の無知を晒すことを恐れない。試したいことがあったら、失敗を恐れずに取り敢えずやってみる。
 それが出来る人間。


 ひたすらマニュアルを学び、それに従う。それはあくまで、「持たざる者」が、力を蓄えるために一時的に取る戦術なのだと思う。
 それまでの来歴にもよるが、ひきこもりで外に出れず苦しんでる奴なんてのは、勇気や自尊心を、ほとんど持っていない。あるのは、無駄に肥大したプライドや、傷付きたくないという我が身可愛さ。
 だから当面は、マニュアルや世間に従いながら、無難に行動していく。そのなかで、思いがけず失敗してしまったり、ちょっとだけ冒険してみたり。そうやって、経験値を増やし、人と出会い、成長していく。
 そうすることで、勇気や自信を育み、やがてはマニュアルから離れて自由に行動できるようになる。


 だけど、周囲の視線から自由になって、とにかく好き勝手に振る舞うのが理想かと言えば、それはやっぱり違うわけで。

空気を読んだうえで、自由に動く


 先ほど書いた、「当面はマニュアルに従い、徐々にそこから離れていく」というプロセスを踏んでいるタイプには少ない気がするけど、世の中には、非常に悪い意味で自由奔放なタイプの人がいる。
 いわゆる、「空気が読めない」とされるタイプだ。度が過ぎると、「痛い」とすら言われてしまう。恐ろしい。


 そうならないためにも、マニュアルに従い、大人しく周囲に溶け込もうとする期間というのは、重要だと思う。
 その期間に、人と合わせること、その場の流れや雰囲気を感じ取ること、そういったことを学ぶ。


 別に、「痛い」と言われることを恐れる必要はない。好きなようにやればいい。譲れないことだってあるだろう。人目を気にしてやるべきことが出来ないなんて、馬鹿げている。
 だけど、わざわざリスクを増やす必要はないだろう。
 「空気が読めない」のと、「空気を読み、その上で自分の判断で行動する」のは、全く別のもの。
 俺が理想としているのは、後者のような態度だ。


***


 俺は自分がひきこもりだったし、今もまあ、精神的に脆いほうだから、そういう問題に関心がある。
 で、過去の自分と同じような境遇にいる若者は、どうすれば救われるのだろうかとか、そういうことを考えたりする。ひきこもり脱却に向けたプロセスを確立できないだろうか、とか。
 彼らが救われるためには、
 1.とにかくマニュアルを知り世間を知るべき
 2.周囲の視線を恐れない自由な心を手に入れるべき
 ではないかと、以前から思っていた。
 だけど、この二つは何だか矛盾しているような、していないような、でも上手く説明できないような、そんなモヤモヤした感じだった。だから、それを自分のなかで整理するために、この記事を書いた。