正義と微笑

numb_86のブログ

福祉としての自己肯定感(個人編)

 自己肯定感、それが、俺がいま最も関心を持っているテーマである。
 イマイチ自分に自信が持てず周囲の視線が気になる、言いようのない不安や不適切感に囚われて苦しんでる、そういう若者のために何かしたいと思っている。形になるのはまだまだ先になりそうだけど、いろいろと画策している。
 それはとてもニーズのあることで、しかも社会的にも意義があると感じている。


 それはさすがに大げさでは?そう思う人もいるかもしれない。
 そりゃ自信はあったほうがいいし、そのほうが生きやすいだろうけど、それはあくまで個人の生き方の問題では?社会的課題として扱うのは、大げさでしょ。そう思う人も、もしかしたら、いるかもしれない。
 そこで今回は2回に分けて、なぜ自己肯定感が重要なのか、自分なりに書いてみる。


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 20代や30代のホームレスが増えているらしい。
 下記のまとめが、分かりやすい。


 今日、街ですれ違った人がホームレスかも!?「若者ホームレス」に関するまとめ - Togetterまとめ


 例としてホームレスを出すことに、違和感を覚えるかもしれない。
 それはちょっと極端な例なんじゃないの、と。
 確かに、ホームレスが置かれている状況は、かなり極端なものだろう。多くの人にとっては、「特殊」なものだ。
 だけど、「若者ホームレス」の人たちと、そうでない人たちの間に大きな違いがあったとは、思えないのだ。
 その明暗を分けるのは、ほんの些細なことなのではないか?


 今どき、非正規雇用の若者や、そもそも定職に就いていないような若者は、珍しくない。
 経済的に困窮している若者は、すごく多いはずだ。
 でも彼らが全員、悲惨な生活をしているのかと言えば、そうでもない。
 それなりに楽しく暮らしている若者も多い。
 非正規雇用ワーキングプア、貧困。同じような環境のはずなのに、一方はシェアハウスで仲間と楽しく暮らし、一方は転落を続けホームレスになってしまう。
 何が違うのか。


 人とつながる力、社会とつながる力、そういったものが、大きな要因としてあるのではないだろうか。
 そういう力を豊富に持っている人たちが、シェアハウスやソーシャルメディアを使い倒して、所得が少ないなりに楽しくサバイブしているんだと思う。
 逆に、そういった能力が低いと、生きていくのが相当キツくなる。2ちゃんねるとかで言うところの、「人生ハードモード」って奴だな。
 生まれた家柄や知能指数も重要だが、人とつながっていく力というのも、すごく重要だ。


 で、そういった、人と関係をつくっていく力、社会とつながる力というのもまた、自尊心や自己肯定感と密接に関わっていると思うんだよな。
 自尊心が不足気味の若者、冒頭に書いたような、人の目が気になってばかりの若者に、人とつながる力があるとは到底思えない。悪い意味で程々の関係しか、築けないのではないか?少なくとも、自己肯定感の欠如は、人と関係をつくっていく上でデメリットになるのは間違いないだろう。


 自己肯定感を抱けず、伏目がちに過ごす毎日。そのことによって生じるデメリット。
 気になってる人に話しかけられないとか、オサレなショップに入るのに気後れしてしまうとか、その程度なら、わざわざ社会的な課題にする必要はないかもしれない。各人でどうにかしろ、で済む話かもしれない。
 でも、ホントにやばい人たち、自己肯定感の低さがシャレにならない人たちは、今後、生きていくことすら困難になる気がしてならないんだ。ホームレスは極端かもしれないが、それに近い、崖っぷちの状況に追い込まれていく気がしている。


 よく、魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えるべきだ、みたいな議論がある。
 同じように、魚釣りの仲間を見つける能力や、友達と一緒にワイワイ魚釣りを楽しむ能力も、育んでいくべきだと思う。それを「能力」と読んでいいのかは分からないけど。
 カネを与えるだけの福祉は不十分だが、職業訓練を与えるだけでも、まだ不十分だと思うんだ。
 もっと内面の、自尊心とか、誇りとか、そういう部分にもフォーカスしていかないと、苦境にあえぐ若者を救うことは出来ないのではないだろうか。