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正義と微笑

numb_86のブログ

承認など存在しない、あるのは、リアクションであり態度である

 前回、自己肯定感を獲得するために有効と思われる、二つの柱について書いた。
 そのうちの一つで、そしてメインの柱であるのが、「他者からの承認」。
 これから何回かに分けて、「承認」というものについて考えていく。承認とは何なのか、具体的にどういった承認が望ましいのか、それを得るために何が必要なのか。そういったことを整理することは、とても大切だと思うから。


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 タイトルに書いたように、実際の我々の生活のなかには「承認」なるものは存在しない。最近はそんな気がしている。ただ便利だから、便宜的にそういう言葉を使っているだけであって。


 人と人とは、完全には分かり合えない。コミュニケーションには限界がある。相手を100%知ることも、自分の気持ちを100%伝えることも、不可能。「分かった」と思っても、それは幻想だ。そして相互理解が幻想ならば、承認なるものもまた、幻想だ。
 承認してもらおうにも、自分の人格なり内面なりを、誤差なく相手に伝えることが、そもそも不可能。万が一、承認してもらえたとして、どうやってそれを知る?どうやってそれを確認する?「私は貴方を承認しました」というセリフさえもらえればOKなのか?そんな訳ないだろう。


 幻想だから悪い、幻想だから意味がない、そんなことを言いたいのではない。
 どうすれば幻想を得られるのか、いや、どうすれば幻想を信じることが出来るのか。
 俺たち、つまり他者からの承認が欲しくて欲しくてたまらない連中が考えるべきことは、そこではないだろうか。


 承認そのものを追いかけてもムダだ。そんなものは存在しないのだから。
 じゃあ、俺たちが追いかけるべきもの、手に入れるべきものは、なんだ?


 具体的な、目に見える、自分へのリアクションなり態度。
 それではないだろうか。それしかない、というか。
 自分の発言、行動、振る舞い。そういったものを晒す。そうすることで、自分の気持ちを、ごく一部とは言え、表現できる。
 それを受けて、相手もまた、何らかの発言なり振る舞いなりを行う。そこには、やはりごく一部ではあるが、相手の気持ちが表現されているはずだ。
 「承認」なんていうものを融通しあうことは、不可能。だけど、態度や反応で、何かを示し合うことはできる。


 どうすれば僕を認めてもらえるのだろう……。どうすれば、あの人たちに承認してもらえるのだろう……。
 頭を抱えてそんなことを考えていても、何も始まらない。
 集団の中で、他者の前で、自分を晒すことだ。自分が思ったことを言う。自分がやろうと思った振る舞いをする。
 そうすれば必ず、何らかのフィードバックを得られる。無反応、ノーリアクションというのも含めて、リアクションだ。
 そこから何を感じ取るかは、人それぞれではある。だが、何かは得られる。例え、ちっぽけなものだとしても。
 それを繰り返し、「自分は、まあ、そこそこ受け入れられているようだ」「自分もあながち、悪くはなさそうだ」という感触を積み重ねていく。それこそが、承認欲求を満たし、自己肯定感を培っていく確かな道。
 最近はそんな風に考えてる。


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