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正義と微笑

numb_86のブログ

何を持っているかではなく、何を思っているか

ぜんじん‐てき 【全人的】

[形動]全人格を総合的にとらえるさま。人間を、身体・心理・社会的立場などあらゆる角度から判断するさま。「―な医療」


全人的とは - コトバンク


 全人的、という言葉がどこまで一般的かは分からないが、俺が理想としているのはまさに、「全人的な自己肯定感」だ。
 自分のあらゆる部分をひっくるめて、「これが俺だ。そして、俺は俺でいいんだ」と思えること。弱点や欠点も含め、それらを弱点や欠点だと認めた上で、そんな自分のことを受け入れること。
 だから、何かにすがることで間に合わせの自尊心をつくったり、「失敗」を犯さないように人の顔色を窺いながら過ごすのは、違う。過渡期としてそういう時期があるのは仕方ないが、そういう状態で生き続けるのは、いろいろと苦しいと思う。


 だから、他者からの承認を獲得していく上でも、そのことを意識したほうがいい。
 きわめて部分的で限定的な自己肯定感にしかつながらない、そんな承認を積み重ねても、目指すところには辿り着けないのだから。


 じゃあ、どんな承認が望ましいんだ?
 上手く表現できないのだが、自分の内面を晒すような発言や振る舞いを行い、それを承認してもらう、というのが望ましいと思う。言動を通して自分の内面を見てもらう、というか。


 どういったものが(長期的には)望ましくないのか、のほうが分かりやすい。
 自分自身ではなく、自分が持っているモノや知識などによって、承認を得ようとするパターン。
 自分の知識などを披露することで賞賛を得ようとしたり、「カネやらモノやらを持っている」ということによって自分を大きく見せようとしたり。誰々(有名人とか業界人とか)と知り合いであることによって尊敬を得ようとするのも、このパターンに含まれるかもしれない。大手一流企業に所属していることをアイデンティティにしているようなタイプも、そうかも。
 こういうのも、それ自体は悪くないと思う。特に取っ掛かりとしては。でも、いつまで経ってもそこに固執していては、状況はなかなか改善しない。低めの自己肯定感は、なかなか改善されない。自分自身ではなく、あくまでも自分の持ち物を褒められているに過ぎないのだから。それを取り去ってしまうと、自分には何も残らない。


 大事なのは、お前が何を持っているかとか、お前の社会的階層とか、そんなんじゃない。そんな事に囚われている限り、他でもないお前自身が、苦しいはずだ。
 お前が何を考えていて、何を感じていて、何を思っているのか。大事なのは、そこなんだ。そんなに大袈裟なことじゃない。お前はどんな人間なのかという、ただそれだけのこと。
 それを、ちょっとずつ相手に伝えていく。言葉とか、行動とか、選択とかで。もちろんそれは、簡単なことじゃあない。人と人とが完全に分かり合うことなど、不可能。出来ない。だけど、付き合いを重ねていくことで、理解している、理解されているという幻想に浸ることは、出来る。
 そういう形での「承認」こそが、大切なのではなかろうか。