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正義と微笑

numb_86のブログ

コミュニタリアニズム(共同体主義)を学びたい

 最近また、コミュニタリアニズム共同体主義)を学びたいという意欲が、生まれてきている。
 コミュニタリアニズムってなあに?という人も多いと思う。俺もまあ、それが何であるかを明瞭に語ることは出来ない。正直なところ。それでも、惹きつけられるものがある。だから学生の頃からずっと、興味があった。
 備忘録として、俺がいま考ええていることを、記しておく。


 主に二つの側面から、コミュニタリアニズムに関心がある。

価値相対主義へのアンチテーゼとしての、コミュニタリアニズム

 絶対的な価値や正義というものは存在しない、人それぞれである、だから他人に迷惑かけなければ何やってもいいよ、それが自由ってことさ〜。概ねこういう風に考えるのが、価値相対主義。あらゆる価値は相対的であると、考える。
 現在でも依然として、こういう考え方が主流なのだろう。俺は10代の頃から、この考え方が大嫌いだった。
 人それぞれに自由がある。様々な態度がありうる。多様性が大事。
 そんなのは当たり前だ。でもそこから、人々が従うべき共通の規範なんてものは存在しない、という態度になってしまうのには、違和感を覚える。
 人に迷惑をかけなくても、人にバレなくても、人に咎められなくても、それでもやるべきではない、美しくない、信義にもとる行為。そういうのがあるんじゃないのか?
 俺はなんとか、善とか倫理とか、そういった、価値観の基軸となるようなものを、見出したい。
 「全ての正義は相対的であり、何が絶対かなんて分からないのさ」というニヒリズムは、単純な善悪二元論と同じくらい、不誠実な態度だと思っている。俺は何が「絶対」で何が「正義」で何が「善」なのか、考え抜きたいし、知りたいよ。
 で、そういう価値相対主義を乗り越えるのためのヒントを、コミュニタリアニズムがもたらしてくれるのではないかと、考えている。

社会の在り方としての、コミュニタリアニズム

 先ほどのは、倫理学とか、そういった側面としてのコミュニタリアニズム。こちらは、政治思想や経済思想としての、コミュニタリアニズム
 さっきの価値相対主義嫌いとも関係してくるが、俺は、ホッブズ的な社会契約論の考え方に、強い違和感を抱いている。
 そして、それを突き進めたものとしての近代主義にも、懐疑的だ。
 さらに、実質的に近代主義の両輪となっている資本主義と民主主義にも、いろいろと言いたいことがある。俺は別にコミュニストでもアナーキストでもないが、資本主義も民主主義も両方とも、欠陥が多すぎると感じている。それに代わるシステムが(現時点では)存在しないのは事実だが、だからといって現在のシステムをそのまま放置していい理由にはならない。改良を重ねていくべきだろう。
 そのときに、在るべき社会、目指すべき社会とはどんなものなのかを模索していくときに、コミュニタリアニズムは多くの示唆を与えてくれるような気がしている。


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 関連しそうな過去の記事を、ここにまとめておこう。
 「せっかくだから俺はこの目的指向的理論を選ぶぜ!」 - 正義と微笑
 近代への懐疑 - 正義と微笑
 「ムラ社会」からの脱却 - 正義と微笑
 コミュニタリアニズム - 正義と微笑


 これはもう、完全に妄想というか、与太話の類なんだけれども。
 何らかの形で、自尊心やコンプレックスの問題とコミュニタリアニズムを結び付けられねーかなーと、考えております。

 人の心を鍛える場所としての、コミュニティ - 正義と微笑