正義と微笑

numb_86のブログ

貧乏でも暮らしやすい国

 最近の若者は物欲が無いとか、消費しないとか、よく言われる。必死に働いてまでカネが欲しいとは思わず、貧乏でもいいから、気の合う仲間と楽しく暮らしていきたい、そういう価値観が広まっていると、よく言われる。
 確かにそうなのかもしれない。もちろん人それぞれではあるが、これまでの世代に比べるとモノやカネに対する執着が薄い。金銭的なものにさほど価値を感じず、それよりも自由や人間関係を大切にする。
 俺もそうだ。そりゃカネは欲しいけど、そこまで執着はしていない。金儲けとか、贅沢とか、本当にどうでもいい。そんな事より、多少貧乏でもいいから、好きな事をしながらのんびりと暮らしたい。ベランダで黄昏たりしながら、ぼんやりと生きていきたい。金持ちになるために時間や心を犠牲にするなんて、馬鹿げてる。


 そういう価値観でこれまで暮らしてきたんだけど、それが通用するのも時間の問題なのかもしれないと、ふと思った。
 「無理して金持ちになる必要はない」と思えるのは、それでも豊かに暮らせるからだ。変な言い方かもしれないが、日本は、無理して金持ちにならなくても快適に暮らせる国なのだ。
 治安はいいし、衛生もしっかりしてる。各種のインフラも整っている。今は放射能とかいろいろあるけど、他の国に比べればはるかに、食い物の安全性も高い。基本的には心配せずにモノを食える。
 無一文だと厳しいが、そこそこのお金さえあれば、かなり快適に過ごせる国なのだ。
 他の若者がどうかは知らないが、俺が「多少は貧乏でもいいよ」と言うとき、無意識のうちに、そういった「豊かな社会」を前提としている。
 だけどこれから、そういう前提が崩壊していく時代になるのかもしれない。様々な社会病理が生じており、それらが解決する気配はない。政治にはまるで期待できない。多くの人が、未来に不安を抱いている。何より、経済がどん詰まりだ。何事も、先立つものが無ければどうにもならない。


 これまで日本人であるというだけで享受できた治安・衛生・医療・インフラは、もう、維持できないかもしれない。それ相応の対価を支払わなければ得られない時代が、やって来るかもしれない。「日本人は水と安全をタダだと思っている」と評されたことがあるが、そんな時代はもう終わりなのかもしれない。
 そうなると、「貧乏でもいいよ」とは言えなくなるだろう。少なくとも俺はそうだ。多少苦労してでもカネを稼いで、安全・安心・利便性といったものを買いたい。


 話はそれるが、どうして日本は住みやすい国なんだろう。
 そりゃ一番の理由は経済大国だからだろうし、近代化のおかげでもある。でもそれだけじゃ無いと思うんだよな。
 今後は雲行きが怪しいけど、これまでの日本は、秩序が保たれており、多くの人がそれなりに暮らせる、非常に安定した社会だったと思う。もちろん、少数者や余所者に不寛容であったり、個性を否定してまで同一性を保とうとしたり、いろいろと影の部分もあったのだとは思うけど。それでもやっぱり、世界でも有数の、暮らしやすい、豊かな社会だと思うんだ。俺はこの時代の日本に生まれてラッキーだったと思ってるよ。


 で、そういう社会は、単にカネと近代的なシステムを与えただけでは、つくれない気がするんだ。いろんな要素が複雑に混ざり合い、ある種の「偶然」として、生まれたのではないだろうか。
 そして、その要素の一つに、「これまで積み重ねてきた、伝統的な何か、日本的な何か」があると思っている。慣習とか、道徳とか、国民性とか。
 ただの素人感覚だけど、ただ単に近代的な法制度や警察機構を用意しただけでは、ここまで治安のいい社会はつくれないのでは?やっぱりそこには、高度に発達・洗練された道徳、常識、公共心といったものが存在するのだと思う。
 もちろんここにも影の部分はあって、排他性や窮屈さを生み出しているという側面は、確かにある。必要に応じて随時、修正を加えていくべきだろう。


 さっきも書いたように、俺はこの時代のこの国に生まれたことに、感謝している。(いろいろ欠陥もあるとはいえ)住みやすいこの社会が、今後も続いていけばいいと思っている。欠点や短所を改善しながら、この社会のよさが守られていってほしいと願う。
 だから俺は、もっと勉強したいし、もっと知りたい。この「暮らしやすさ」を支えている「伝統的で日本的な何か」の正体や、それが社会に対してどのように作用しているのかを。悪い部分を取り除くためにも、「日本的なるもの」について、もっと知りたい。
 何よりも自分のために。今後も、「ちょっとぐらい貧乏でもいいよ」が通用し続ける社会であってほしいんだ。そのために俺はもっと、この社会やその背後にあるものについて、知りたい。