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正義と微笑

numb_86のブログ

ゆるくて、柔らかい、共同体

 内山節,21世紀社会デザインセンター『内山節のローカリズム原論―新しい共同体をデザインする』(農山漁村文化協会)を人から借りていたのだが、読み終えた。
 震災を経て、これから復興に向かっていくなかで、どのような社会を目指すべきなのか。それを、地域社会やコミュニティといった観点から論じている。
 共同体やコミュニティを再生・創造していくべきだというのが、著者の基本的な立場のようだ。
 共同体の効能や機能について論じるというより、それがいかに人間に不可欠なものか、人間の本質に結びついたものであるかを論じており、興味深く読めた。


 結び合うこと、つながり合うことのなかに、人間の本質がある。著者はそう主張する。
 人は、関係性のなかでこそ、自己を認識できる。関係のなかに、人間の存在を感じる。カントやフッサールといった哲学者を紹介しながら、そのような認識論を展開していく。
 人は、自分一人では、自分が何者なのかすら、分からない。他者との関係性のなかでやっと、見えてくる。父である自分、息子である自分、サラリーマンである自分、消費者として買い物を楽しむ自分、地域に暮らす自分、サークルに入って趣味を楽しむ自分……。
 自然や死者(先祖)をも含む「他者」との関係性のなかで、人は生きている。
 だから、共同体を創造していくのは、それが便利だからそうするというより、それこそが人間の本来的な在り方だからなのだ。


 著者はこのように、共同体の価値や必要性といったものを、議論している。
 だが私はどうしても、共同体の持つマイナス面を、意識してしまうのだ。


 著者は、「強固で濃密な共同体」を志向しているのではないだろうか。
 事実、「共同体が単なるサークルと異なるのは、メンバーが困ったとき、無条件で助けるという気持ちをもっているというところにあります」(p60)と述べている。
 だが私は、このような「美しい助け合い社会、相互扶助の共同体」というものに、なんとも言えない、鬱陶しさや面倒くささを、感じてしまうのだ。


 実際、強固な共同体は、そこに所属する個人を抑圧する危険性をはらんでいる。
 相互監視、私的制裁、同調圧力、排他性……。「村社会」という言葉から連想される、諸々だ。


 もちろん著者とて、このようなマイナス面の存在に気付いていないわけではないだろう。
 共同体は外部に開かれているべきだし、多種多様な共同体が多層的に折り重なることで社会は成り立っているとも、著者は述べている。
 これには、私も同意する。


 だが、「ゆるく、だるく、ぬるく」をモットーとする私としては、もっと、一つ一つの共同体がゆるくてもいいのではないかと、思っている。「お互いを無条件で助けよう!」なんて気合の入ったものではなくて、ぬるくて、柔らかい、コミュニティ。
 ゆるい共同体がたくさんあって、個人は、入りたい場所、居心地のいい場所に、複数所属する。どこも敷居が低くて、加入も離脱も気軽に出来る。その時々で、行きたいところに行けばいい。
 そして、全ての所属先に平等に力を割く必要はない。メインの場所もあれば、たまに顔を出す程度の場所もある。それでいい。
 そんな、ゆるくて、流動性の高い社会が、今の私の理想だ。



内山節のローカリズム原論―新しい共同体をデザインする

内山節のローカリズム原論―新しい共同体をデザインする