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正義と微笑

numb_86のブログ

コンテンツ作成についての幾つかの事例、あるいは脱サラ組の模索

 ニート生活も、半年が過ぎた。ここまでの日々は、悪くないものだった。人は必ず働きたくなるとか、どこかに所属していないと不安になるとか、訳知り顔でそんなことを言う連中がいるけど、ありゃ嘘だ。少なくとも、俺には当てはまらない。このまま、好きな本を読んで、好きな事を勉強して、好きなものに参加して、好きなように暮らせればいいなあと、本気で思う。


 けど、何事も、カネがかかる。きわめてインドアな感じのニート生活ですら、カネはかかる。住民税とか国民健康保険料とか、けっこうな額だし。勘弁してくれよ。
 俺は、今のこの生活を守りたい。そのためには、何らかの方法でカネを得なければならない。


 再就職、ってのはナシだ。会社員になった途端、生活のための仕事ではなく、仕事のための生活になってしまう。本末転倒。会社員時代の、息が詰まるようなあの日々のことは、今でもよく覚えている。あんな人生はもう、いらない。
 いつか報われる、もう少しだけ頑張ってみよう、そういうアドバイス?もよく聞くが、あれも嘘だ。少なくとも俺の場合は、そうだった。実際に会社を辞めたのは2012年1月末だが、それまでも何度も何度も何度も、辞めようと思った。限界だと思った。実際、既に限界に近かったと思う。にもかかわらず、頑張ってしまった。その結果待っていたのは、救いではなく、うつ病だった。心は壊れ、脳はバカになった。クソみたいな環境で必死に耐えたって何にもならないのだと、身をもって知った。
 だから、再就職はナシだ。


 だけど他にどんな方法があるのか、よく分からない。
 前にも書いたけど、父親がサラリーマンで、母親が専業主婦。自分もサラリーマン経験しかないから、さっぱり分からない。


 ただ、一つ言えるのは、誰かと関係性のなかでしか、カネは得られないということ。自分一人では、カネを生み出せない*1
 俺がカネを得るってことは、誰かが俺に、カネを払うということ。
 顧客、パトロン、スポンサー、雇い主、いろんな形があるとは思うが、誰かが俺にカネを支払う。
 つまり、「カネを出してもいい」と思わせるほどの「価値ある何か」を、俺は用意しなければならないのだ。具体的な「モノ」かもしれないし、目には見えない何らかの「能力」かもしれない。とにかく、何らかの「価値」。


 何らかの「価値」をつくりだし、それを必要としている人、それに対してカネを出してくれる人を、見つける。
 それが俺の目指すべきところだと思う。
 そう考えると、「コンテンツを作成していくこと」が、有効な手段に思える。自分の持っている価値を、分かりやすい形にパッケージングする。
 コンテンツ化することで、自分の持っている価値、生み出せる価値を、分かりやすく提示できる。そうすることで、カネを出してもらいやすくなるし、自分が何者なのかを伝えやすくなる。


 いろんな形のコンテンツ化が、あり得ると思う。
 例えば、目に見えるもの、実物的なものを、提供するスタイル。


 OYATSUYA SUN
 飲食物と、それを食べるスペースを提供するという、一番シンプルかつオーソドックスで、分かりやすい形。店主のウメザワさんとはツイッターでのやり取りしかないけど、俺と同じ脱サラ組らしい。

 これはまさに、俺の言うところのコンテンツ化、パッケージ化だ。自分の持っているものを編集、再編成して、他人にも分かりやすい形で提供する。


 おもしろ雑貨プレゼントのネット通販-セレクトショップじぃーま
 オンラインショップをオープンしました! | はみ出るじぃーま
 こちらは実店舗ではなく、オンラインショップ。自分で商品をつくるわけではないが、ショップという場をつくり、店長さんのセンスで選んだ商品を並べる。
 これも、「オンラインショップ」というコンテンツをつくり、それを提供している。
 店長は、いっぱんじん連合の参謀さん。実は一回しか会ったことないです。参謀さんも、脱サラ組。


 これらは、比較的分かりやすい形で、目に見える形で、コンテンツを提供している。
 でも、それだけではない。
 例えば、イベントを企画・運営して提供するというのも、立派なコンテンツだ。


 既卒者カフェ
 「大学等を卒業して就職活動等を継続中の既卒者が集まるコミュニティ」。既卒者の人たちが集まり、情報交換をしたり、近況や悩みを話し合う。最近は、キャリアカウンセラーの方や、若者支援のNPOとの連携も実現している。次回開催は未定とのことですが……。
 発起人である山口氏も、この春に大学を卒業した既卒者。ではあるんですが、明らかに、サラリーマンになりたくなさそうです。脱サラというより、反サラというか、拒サラというか。


 深夜徘徊の会
 我らがいっぱんじん連合が設立した、数時間にもわたって集団で深夜徘徊をする会。既に2回の開催実績があり、それなりに参加の申し込みがあるらしい。世の中は不思議だ。
 いっぱんじん連合の代表さんも、脱サラ仲間。うつ病になってニートになったのも、俺と同じ。初めてお会いした時は、サインバルタドグマチールうつ病の薬)の話題で盛り上がったような気がします。


 これらのイベントも、コンテンツだ。
 イベント自体に「価値」を持たせ、そこから収入を得られるのがベストだと思うが、それだけではない。
 イベントを打つことが、自分の「価値」を伝えることにつながる。イベントが、主催者の名刺や履歴書になるというか。
 例えば、能力を伝えることが出来る。私はこういうイベントを主催するだけの能力がありますと、アピールできる。企画、運営、宣伝を行い、イベントを実現させる能力、それは立派な「価値」だ。その「価値」に誰かが注目し、仕事を与えてくれるかもしれない。イベント会社とか?よく分からないけど。
 あるいは、志や熱意を、伝えることが出来る。それも立派な「価値」だろう。例えば既卒者カフェは、「現行の就職活動への抗議、新しい働き方の模索」という理念も持っている。そういう志や熱意を、既卒者カフェという具体的な形で提示することで、誰かの目に留まるかもしれない。その志や理念に「価値」を感じ、何かを与えてくれる人が現れるかもしれない。よく分からないけど。


 つまり、コンテンツを作成することには、2つの意味がある。
 ひとつは、コンテンツ自体に価値を持たせ、そこから対価を得る。
 もうひとつは、コンテンツを通して、自分の中に眠る「能力」や「志」などの価値を知ってもらい、そこからビジネスにつなげていく。


 工夫や発想次第で、あらゆるものがコンテンツに成りうると思う。例えばphaさんは、ご自身の人生をコンテンツにしている。「とにかく働かない生き方」という自分の生き方をコンテンツにして、多くの人気や共感を呼んでいる。俺もファンの一人だ。


***


 さて、長々と書いてきたけど、じゃあ俺はどうすんのって話だ。
 誰かにカネをもらわなきゃいけないから、それに見合うだけの「価値」を創造しなければならない。そして、その「価値」を分かりやすい形で他者に提示するため、それを「コンテンツ」に仕立てるのが有効。さらに、売れる、ウケるコンテンツであれば、なお良い。
 それが、この記事で出した結論。


 結局、必死になって自分なりのコンテンツを生産していくしかないのかなー。
 あとは、その存在を知ってもらうための広報活動。ネットのおかげで誰でも情報発信できるようになったけど、その分、情報が多すぎて埋もれてしまうという事態が発生した。せっかくコンテンツをつくっても、その存在を知ってもらえなければ、どうにもならない。俺に「価値」を感じてくれる人がどこかにいるとして、何とかしてその人たちと接続しなければならない。


 価値の創造と、それのコンテンツ化。
 コンテンツを知ってもらうための、広報活動。
 まあ、もう少しだけ頑張ります。

*1:まあ、FXとかはひとりでもいけるけど……。