正義と微笑

numb_86のブログ

メンタルクリニックにて

 去年の11月、メンタルクリニックに行った。
 劣悪な労働条件により、精神的に参ってしまったからだ。うつ病、と言われるような状況だったと思う。


 ため息ばかりついて、ろくに動けない。出社すべきか真剣に悩み、重い腰を上げて出社するも、何も出来ない。席に座って、ひたすらため息をつくばかり。やるべきことは山積みなのに。仕上げるべき書類も、訪問すべき顧客も、何もかもが山積みなのに、動けない。必死になって働いてた頃の自分が、嘘のようだった。
 何とか気力を振り絞って、支店を出る。外回りをすべく、原付(カブ)の置いてある駐車場まで来た。だけどここでも、動けない。カブの前で、30分ほど立ち尽くす。別に何をするわけでもなく、憂鬱さを感じながら、ぼんやりとしている。
 これでは埒が明かないと、何とか意を決して、外回りを開始する。
 だがそれも、2件ほど回ったところで終了。午前中に少なくとも10件は訪問しないと仕事が追いつかないのに、2件で、限界を感じてしまう。気力が尽きる。


 しかし、支店には戻りたくない。戻ったって仕事にならないのは目に見えてるし、仕事のことで周囲からグダグダ言われるのもムカつく。
 取り敢えず、担当エリア内にある小さな公園で、一休みすることにする。ここでも、ただただぼんやりする。ケータイをいじる訳でもなく、ひたすら、ため息をつく。
 ペットボトルに入っているミネラルウォーターを、わざと地面にこぼす。地面の土に、水が少しずつ染みこんでいく。それをただ、眺める。


 こんな感じの日々を送り、これはもうダメだと判断した。これまで何度も辞めたいと思い、そのたびに何とか踏みとどまってきたが、ついに限界だと感じた。だから、病院に行くことにした。
 自分がうつ病であることに気付けなかったり、病院に行くことに抵抗を感じたりする人が、それなりにいるという。
 だが俺の場合、そういうのは無かった。
 幸か不幸か、メンタルクリニックに通院し抗うつ剤を服用している同僚が、複数いた。そういう職場なのだ。お互いに、自分の症状や奇行を自虐のネタにして笑い合い、気晴らししていた。
 うつ病の「先輩」からいろいろ聞いていたから、自分のことも、わりと客観的に認識することが出来た。「あ、これ病気だわ」と、冷静だった。


 愛車のカブを駆って、予約したメンタルクリニックへと赴く。
 医者に、これまでの経緯や状況を、かいつまんで説明する。
 この時点ではまだ仕事を辞めるつもりはなく、とにかく気力を回復させる術が欲しかった。メンタルクリニックにもそれを求めていた。だから、そのことも伝える。多少の反動や副作用は仕方ないから、とにかく俺を「元気」にしてくれと。
 だが医者は冷静に、俺の期待を打ち砕いた。
 「クスリで気持ちを引っ張りあげても、同時に仕事で下に引っ張られているのでは、何も変わりませんよ。症状の原因となっている”仕事”そのものを変えなければ、根本的な解決にならないのでは?」。
 まったくその通りだった。「環境を変える」という発想自体が浮かばなかった自分に、呆れた。


 医師の指摘はもっともだし、「会社と相談して、業務量を減らしてもらうなどすべき」とのアドバイスも受けたが、そんなこと出来るはずがなかった。
 俺が、環境を変えるという発想すらなかったのは、そんな希望が通る会社ではないと、実は分かっていたからだと思う。
 俺以外に何人も病人や離職者が出ているのに放っておく、それどころかそれを問題だと認識できないような、そんな会社だ。俺の希望を聞くわけがない。
 事実、こちらの希望や意思を話してみたが、どうにもならなかった。的外れな対応しか、してくれなかった。偉い人に直談判もしてみたのだが、むしろ失望と怒りを覚えただけだった。
 当時の、怒りに満ちた記事はこちら。老害との遭遇 - 正義と微笑


 前からうんざりしてたし、いい機会だと思い、辞めた。


 なんでこんな話を長々としたかと言えば、今でも、あの医師の指摘は非常に的を射たものだと思っているからだ。結局、環境なのだ。投薬やカウンセリングを否定する気はないけれど、病気やストレスの原因となっている環境を変えないと、根本的な解決にはならない。実際、俺も薬を処方されて服用していたけれど、効果は実感できなかった。


 前回の記事では、自分の勝てるフィールド、自分の強みを発揮できる環境、そういう場所に移っていくことの大切さを書いた。だが同じように、自分を苦しめる環境から脱出していくことも、大切だ。
 別に当たり前のことではあるんだけれど、忘れがちだと思う。俺もまさにそうだったが、今いる環境が全てだと思ってしまうし、いかに環境に適応するかばかり、考えてしまう。
 そもそも、環境なんて簡単に変えられるもんじゃない。たまたま俺は貯金があったし、背負うものも制約も何もなかったから、大して悩むことなく辞められた。だが多くの人は、そうはいかない。何かしらの事情を抱えている。そういう人達を、俺は実際に知っている。


 俺は前から、もっと多様な生き方が出来る社会になって欲しいと思っているし、その実現を目指している。
 生き方の多様性を認める社会になれば、逃げることや環境を変えることも容易になる。そうなれば、多くの人にとってメリットがあるはずだ。つらい環境に身を置き続ける必要もなくなる。
 そんなことを思いながら、この記事を書いた。