正義と微笑

numb_86のブログ

「働きたくない」に関する、なむの思想

 会社を辞めてから、9ヶ月が経った。基本的には家にいる生活だけれども、たまに、どこかの集まりに顔を出したりもしている。そういう時の自己紹介というのが、難しい。自分の身分や社会的地位もそうだが、それ以上に、自分の「思想」や「価値観」を話すのに、苦労する。


 「出来るだけ働きたくない」を掲げてはいるが、文字通りの意味で何もしたくないわけではないし、一切の仕事や労働を否定しているわけでもない。ここらへんの細かいニュアンスを伝えるのは、ちょっと億劫だったりする。
 何より自分自身が、自分の考えを整理できていなかったりする。


 ということで、自分のために、自分の思想を記録しておく。自分の思想を、理路整然と語れるようになるために。

  • 文字通りの意味で「働きたくない」わけではない
    • 分かりやすいし面倒だから、つい「働きたくない」と簡単に言ってしまうけど、別に働きたくないわけではない。生きていくためにはお金が必要だから、そのために労働することに対して、特に異論はない。自分が何らかの能力を発揮して、対価としてお金を得る。素晴らしいことだと思う。ではなぜ、「働きたくない」とわめいているのか。
  • 「仕事そのもの」ではなく、「仕事」に付随する文化や風習が嫌い
    • 仕事が嫌なのではなく、労働環境が、嫌なのだ。だから働きたくない。パワハラ、行き過ぎて歪んだ縦社会、理不尽な慣習、度を過ぎた顧客至上主義、不透明で信用ならない「組織の論理」、合理性の欠片もない根性論、仕事はつらいものだというマゾヒズム……。そういったものが、大嫌いなのだ。だから俺は、「働きたくない」。
  • 過労死」と「無職」であるならば、「無職」を選ぶ
    • 日本の労働環境は極端であり、「適度」というものが存在しない。先述のような環境で心身を病むまで働き詰めになるか、それとも、無職か。0か100かなのだ。俺個人の理想は、40ぐらいの割合で程々に働きたいのだが、そういう選択肢はほとんど存在しない。「低賃金・低負担」という生き方は、存在しない。0か100か。だったら俺は0を取る。そういう意味での「働きたくない」。
  • 願望や要望ではなく、主義主張としての「働きたくない」
    • 「働きたくないなあ」というのは、俺の純粋な願望だが、それだけではない。上記のような労働環境は間違っていると思うし、「仕事はつらいものだ、給料は我慢料だ」という価値観は大嫌い。葬り去りたい。違う道を模索したい。そういう、既存の社会に対するアンチテーゼ、意思表明としての、「働きたくない」。
  • 「雇われたくない」というのが実態に近い、しかし起業を目指しているわけでもない
    • ここまで書いた内容を整理すると、「働きたくない」というよりは「雇われたくない」というのが、より正確だと思われる。仕事そのものではなく、労働環境が嫌なのだから。しかし「雇われたくない」と言ってしまうと、「起業を志向している」と思われがちだ。だが、それは違う。確かに仕事そのものは嫌いではないが、別に好きでもない。働かずに済むなら、それに越したことはない。苦労して金持ちになるくらいなら、低賃金でダラダラ暮らしたい。雇われたくはないが、「独立してバリバリ働くんだ!」というのも違う。だから、「雇われたくない」ではなく、「働きたくない」という言葉を使っている。
  • 正社員だろうが、無職だろうが、将来が不安定ということに変わりはない
    • 「働きたくない」を掲げる人に対する批判や疑問として、「将来が不安じゃないのか」というものがある。そりゃあ、不安である。今はよくても、将来、どうなるか分からない。だがそれは、正社員だって同じだ。勤め先がどうなるか分からないし、あからさまな左遷を食らうかもしれない。過酷な環境で働き続けることで、心身を壊すリスクもある。そう考えると、将来が不安定なのは正社員も無職も一緒であり、「働きたくない」を否定する理由にはならないと思う。
  • 終わりのない自己研鑚ゲームから降りたい
    • それに、正社員であり続けるのも楽ではない。昭和はともかく、今は、自助努力をしなければ生き残れない。いわゆる、スキルアップとかキャリアアップと呼ばれるもの。仕事をしっかりこなしつつ、英会話を学び、資格を取得し、勉強会に顔を出し、人脈をつくり……。グローバル化や人口減少など様々な理由により、仕事を取り巻く環境はどんどん悪化している。これからは絶えず自分を磨かなければ生き残れない、そういう言説は至るところで見かける。そしてその予測は恐らく、正しい。だけど俺には無理だ。付き合いきれない。そんなマッチョな世界からは早く降りたい。だから俺は、「働かない生き方」を模索する。
  • 仮に安定を得られるとしても、そうして手にした人生が苦痛にまみれたものなら、本末転倒
    • 働き続けて、自己研鑚し続けて、それで安定を得られたとしよう。定年まで働けた。老後の蓄えも出来た。でもそれって、そもそも幸せなのだろうか。生きるために働いているはずなのに、働くために生きるのでは、本末転倒だ。会社員時代の俺は、まさにそうだった。なぜ働くのかといえば、生きるためだが、働くことで得た「生活」のほぼ全てを働くことに費やしており、何が何だか分からない状態になっていた。そんな「安定」ならば、俺はいらない。何のために生きているのか分からない。俺は、「安定した奴隷のような人生」を送るぐらいなら、不安定でもいいから、楽しい人生を送りたい。
  • 遊ぶように、働きたい
    • 現状の「働き方」や「労働環境」に対する不満は、いろいろとある。では、目指すものは、理想は、なんだろう。これはなかなか難しい。まだ模索中かもしれない。ただ、ひとつ言えるのは、「遊ぶように働きたい」ということだ。世間では未だに、「仕事とは苦しいものだ」という固定観念がある。俺はそれが大嫌いだ。もっと、楽しく働きたい。そもそも、「遊び」と「仕事」を分けたくない。二項対立ではなく、融合させたい。そうすることで、人生はより素晴らしいものになるはずだし、効率も上がると考えるからだ。死にそうな顔をしながら嫌々こなす「仕事」よりも、伸び伸びしながら夢中で取り組む「遊び」のほうが、より大きな価値を生み出すと信じている。
  • 自分のペースで働きたい
    • どうにも、世界のスピードというのは早すぎる。世界というか、「日本の企業社会」は。あまりにも早い。先ほどの「自己研鑚ゲーム」もそうだが、俺には付いていけない。付いていきたくもない。俺はもっと、自分のペースで暮らしたいんだ。頑張る時は頑張るけど、寝たい時は寝たい。のんびりしたいときもあるし、ゆったり読書したり思索したりする時間も確保したい。サラリーマンの生活は、画一的、硬直的すぎて、自由がない。俺は、企業の理屈なんか無視して、自由に過ごしたい。だから、「働きたくない」。
  • まとめてみると
    • 雇われるのではなく、かといって「起業」というほど大袈裟なものでもなく、身の丈にあった大きさで、マイペースに、好きな事をしてカネを稼ぐ。大金を稼ぐために無理をしたりはせず、自分のペースや持続可能性を大事にして、ほどほどに稼ぐ。俺の言う「働きたくない」には、概ね、そういった意味が込められているようだ。


 現時点で思い付くことを書き連ねてみると、こんな感じ。
 必要に応じて加筆・修正していくかもしれない。