正義と微笑

numb_86のブログ

ひきこもりを巡る、二つの潮流

 もし、ひきこもり村というものを作るとしたら、それは和歌山県になるだろう〈その4〉: 鳴かず飛ばず働かず


 ひきこもり名人である、勝山実さんの記事。
 表現は尖りすぎているかもしれないが、仰ってることはその通りだと思う。

 就労支援というと、働く練習をして、一人前の労働者にして企業に送り込む、新兵養成所方式がほとんどでしょ。
 (中略)
 ひきこもりにせよ、障害者にせよ、できることを「する」のです。できないことを「させる」のは奴隷教育でしょ。


 俺も以前ツイッターで書いたけど、多くの就労支援は結局、ブラック企業の片棒を担いでしまっている。
 職が無くて困っている若者を、「矯正」して、就職が比較的容易なブラック企業に放り込む。
 本質的には、ホームレスや生活保護受給者を狙った貧困ビジネスと変わらない。困っている人の足元を見て利用することで、成り立っているのだから。


 ひきこもりを巡っては、大きく分けて二つの考え方がある。
 一つは、ひきこもり状態を回復させて、就労などの社会復帰を目指すという考え方。悪く言えば、ひきこもり状態を無理にでも矯正して、社会への適応を強いる。就労支援組織とかは、基本的にこの考え方。
 もう一つは、ひきこもり状態を肯定し、そのままで生きていこうとする考え方。無理して既存の社会に適応しようとするのではなく、自分なりの生き方を模索する。悪く言えば、ただの現状追認や現実逃避になりかねない。勝山実さんはこっちの考え方だし、当事者会とかは、こちら側の考え方が主流なのかもしれない。


 もちろん、単純にこの二つに色分けできるものではない。どちらかを選ぶというより、この二つの間で、どうバランスを取っていくかだと思う。どちらに、どの程度、比重を置くか。それによって、人それぞれの考え方が出てくる。


 だが、どれが正解なのか、どのへんが落とし所なのかは、かなり難しい問題だ。誰もが、悩んでいるのだと思う。
 俺も、この二つの考え方に引き裂かれている。
 前にもどこかで書いたけど、今の俺がやっていることは、矛盾に満ちている。


 企業社会に適応できず、会社を辞めた。そして、世間の主流の考え方には背を向けて、これからは自由に生きようと決めた。その一環として、以前から関心があった就労支援のボランティアを始めた。
 だが、そこで俺がやっているのは、自分は背を向けた企業社会に若者を押し込む、そのお手伝いなのだ。
 どんなに綺麗事を並べても、企業への就労こそが、就労支援組織の最終的な目標なのだから。それが、「ワーキングプア(働く貧困層)」や「過重労働」への入り口だとしても。


 ただ、仕方ないのかなとも思う。働かなければ、生きていけない。いろいろ選択肢はあるのかも知れないが*1、生きるためには、就労するのがベターだ。
 ひきこもっている人たちが、ありのままの自分を肯定して、そのままで生きていく。自分らしさを活かした形で、仕事を見つける。確かにそれは理想的ではあるけれど、現実的には難しい。みんながみんな、勝山名人のように生きられるわけではない。


 それに、就労支援はブラック企業の片棒を担いでいると書いたが、別に就労支援組織が悪いわけではない。
 まともな雇用がないことが、問題なのだ。
 求人がブラックなものばかりの現状では、就労支援組織がいくら奮闘したところで、どうにもならない。


 自分らしさを大切にすべきなのか。それとも、社会に適応することを優先すべきなのか。本当に難しい。答えが見えない。この記事のオチも見つからない。
 結局、自分なりに模索しながら地道にやるしかないという、いつもの陳腐な結論にたどり着く。