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正義と微笑

numb_86のブログ

楽しく頑張る 〜なぜ俺は「ニート」という言葉が好きなのか〜

 会社を辞めて、1年以上が経った。
 最初は紛れもないニートだったけど、その後、ライターとして収入を得たり、サイト制作で収入を得たりするようになった。厳密には俺は、ニートではないのかもしれない。少なくとも、ニートというのは本来「抜け出すべき状態、避けるべき状態」であり、「ニートになりたい」「ニートを目指す」というのは、おかしな話だ。
 それでも俺は、つい自然に、ニートを自称してしまう。
 なぜだろう。


 文章を書くのは好きだ。
 プログラミングも楽しい。『社畜クエスト』を作るのは楽しかったし、教本を読んで新しいことを覚えていくのも楽しい。
 サイト制作も、上手くいかなくてイライラすることはあるけど、楽しい。
 そういう、何かを作ること、表現することが、好きなんだろう。クリエイター志望というか。


 その一方で、読書も好きだ。
 調べ物をしたり、自分で思索してみたりするのも、好き。余力がなくて放置してしまっているけど、衣服哲学』の読解も再開したいし、政治思想や経済思想の勉強もしたい。
 というか、学生の頃は研究職志望だった。いろいろ理由があって止めたけど。


 そうやって考えていくと、俺はニートではなく、クリエイター志望の青年、研究者志望のフリーター、というのが実態に近いのかもしれない。
 実際、ろくに働きもせずに小説を書いている作家志望と、ニートとでは、現実的にはあまり差がない。本人が作家といえば作家だし、ニートといえばニートだ。本人の意識というか、どう自称するかの問題に過ぎない。
 だけど。
 でもやっぱり、俺はニートだ。
 クリエイター志望や研究者志望は、違うんだよな。


 それを名乗ってしまうと、それに向かって頑張らなければならない気がしてしまう。
 「頑張って」創作をしないといけない。「頑張って」研究しないといけない。
 それは嫌なんだよ。
 「一生懸命、苦労する」。それが俺は大嫌いなんだ。


 頑張ることは、嫌いじゃない。『社畜クエスト』を作った時は、自分なりに頑張った。短い期間だけど、集中して作業してた。でも決して、無理してたわけじゃない。一生懸命っていうのは、なんか違う気がする。
 好きだから、楽しいから、やりたいから、やった。それだけ。
 「楽しく頑張る」のが、好き。


 それに、一つのことに絞りたくもない。
 俺は、何でもやりたいし、何にもやりたくない。縛られたくない。
 その時々の興味関心や問題意識に従って、自由に行動したい。ライター、プログラミング、学究、何でもやりたい。


 そう考えていくと、やっぱり「ニート」という言葉が、一番しっくり来る。
 フラフラと、気ままに、自由にやる。
 「専業化」しないとマネタイズしにくい、っていうデメリットはある。
 それは確かに問題であり、乗り越える必要があるが、別に贅沢したいわけではない。
 カネは、そこそこでいい。それよりも「楽しさ」だ。


 ニートって言葉は一般化しすぎていて、いろんな使い方がされている。
 本来はネガティブな言葉だし、今でもそういう使い方が主流ではある。
 それでも俺が「ニート」って言葉を好むのは、そこに、「気ままにフラフラしていたい」というスタンスを見出しているからだと思う。「苦労して頑張る」という価値観を否定している気がするから、好きなんだ。
 「楽しく自由に生きる」の象徴としての、「ニート」。