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正義と微笑

numb_86のブログ

カネの話

 世の中、カネである。
 気ままなニート暮らしを一年以上することで多くを学んだのだが、そのひとつが、カネの大切さである。
 生きてるだけでカネは減る。いくら「最近の若者は贅沢をしない」とは言っても、人が一人生きてくには、それなりにカネがかかる。
 カネがなければ、選択肢が狭まる。いろんなことが、制限される。


 個人の生存にとって不可欠なだけでなく、社会を円滑に運営していくためにも、カネは必要だ。
 これは改めて別の機会に書くつもりだが、社会問題の多くは、突き詰めていけば、景気が悪い、カネがない、というところに行き着くと思う。経済成長さえ実現出来れば自動的に片付く、そういう社会課題は少なくない。


 だけどいわゆる「有識者」のなかには、経済成長そのものに否定的な人たちが一定数いる。俺は労働問題に関心があるんだけど、その界隈にも多い印象がある。
 何やら、「経済成長」にネガティブなイメージを持ってしまっている人たち。「脱成長」をスローガンにしている人たち。
 恐らく、「経済成長」という字面から、「過度な競争」「弱肉強食」「拝金主義」「利己主義」といったものを連想してしまうのだろう。そして、「脱成長」を掲げ、「分かち合いの社会を実現しよう」となる。
 気持ちは分かる。むしろ共感する。とにかく競争させれば上手くいく、市場に任せれば上手くいく、資本主義は素晴らしい、そういった手合いは俺も苦手だ。
 しかし、経済成長自体を否定してしまっては、どうにもならない。富を生み出さなければならない。「無いもの」を「分かち合う」ことは出来ないのだから。


 「精神的な豊かさ」が大切なんだ、という論者もいる。
 ブータンあたりを神格化して、だから経済成長は必要ないと主張する。カネはそこまで必要ないと。
 これもまあ、気持ちは分からなくもないけど。


 以前どこかで、こんな記事を読んだ。
 今は葬式を業者が行うのが当たり前になっている。だけど昔は、親戚や地域の人たち、同僚たちが、葬式を手伝ってくれたのだ。カネで雇った赤の他人に頼まないと葬式ができないような社会は、寂しい社会だ……。
 言いたいことは分かる。
 だけど、こうも言える。地縁や血縁に恵まれなかった人でも、カネさえあれば社会生活を営める、素晴らしい社会なのだと。
 カネはすごく平等だ。職業や年齢、性別、出身地、価値観。どんな属性の人であろうと、1万円を払えば、1万円分のモノやサービスを得られる。*1


 問題解決の手段として、カネほど優れているものはない。カネさえあれば、大抵のことはどうにかなる。それは嘆くようなことではなく、むしろ素晴らしいことだ。他の要素や属性に左右されず、カネさえ払えば、多くの問題を解決できるのだから。
 ただ、「カネさえあれば他の属性はさほど問題にならない社会」であると同時に、「他の属性や要素がどうあれ、カネがないとどうにもならない社会」でもあるのが現代社会なのであり、それはそれで大きな問題なのだが。


 話にまとまりがないけど、何が言いたかったかというと、カネさえあれば多くの問題は解決するし、カネを持つことで選択肢が広がるということ。
 そして、金融サービスがもっと充実することで、資金の融通や決済がより身近にならないものだろうかと、考えている。
 先月のブログ記事でガムロードやVプリカを紹介したけど、こういうインフラや商品が増えれば、そのぶんだけ、生き方の選択肢も広がる。ニートや「自由な生き方」も、実践しやすくなるのではないだろうか。

*1:もちろん、例外もいろいろあるけど。「未成年者はアルコールを買えない」とか。

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