正義と微笑

numb_86のブログ

思春期の終わり

今までの私のビジネスパーソン、企業法務マンとしてのサバイバル術が、「全方位的にあれもこれもできる能力・状態を維持し、将来の選択の幅を広げておく」というものであったことは、このブログを振り返っても否定できないところ

企業法務マンサバイバル : これからの10年のテーマは「絞り込み」


 2012年2月、完全な見切り発車でニートになった。
 何の根拠も、アテもなかった。
 だけど、いくつか方針はあった。
 そのひとつが、「何かに拘らず、興味を持ったことは何でもやってみよう。各方面に手を伸ばそう。手広くやってみよう」というもの。
 自分にどんな可能性があるのかまだ分からないのだから、それを決めつけてしまうのは得策ではない。全く異なる分野を複数育てていけば、シナジー効果を見込めるかもしれないし。そんな風に考えていた。
 何かに特化し過ぎると、それが行き詰まったときに身動きが取れなくなる気がして、怖かった。いろいろやっておきたかった。自分のなかに多様性を持っていたかった。
 突出した才能がないからこそ総合力や引き出しの多さで勝負すべき、みたいことも考えていたかもしれない。


 この考え方は、間違ってなかったと思う。
 思うがままに生きれて、楽しかった。
 いろんなことを始められたし、いろんなことを出来た。
 「将来の選択の幅を広げておく」というのは、生存戦略として正しい。


 だけどそれは、裏を返せば、器用貧乏ということでもある。
 いろんなことが出来るけど、どれも平凡。強みといえるほどのものは、何もない。


 それは、本望ではない。
 いろいろやっていて面白いけど、どれも中途半端。社会にインパクトを与えるほどではない。変化を生み出すほどではない。大した成果ではない。
 そんな風にはなりたくない。


 これからは、もっと絞るべきなんだと思う。手広くやるのではなく、選択と集中をして、限られた分野に特化していく。
 もちろん今後も、種を巻いたり、未来に投資したりすることの重要性は、変わらない。
 だけどそろそろ、「未来に備える動き」から「成果を出す動き」にシフトしていかなければならない。


 何かを選ぶということは、他の何かを選ばないということだ。何かを選べばその分だけ、他の何かの可能性を捨て、諦めることになる。
 これから俺は何かを選び取っていくつもりだけど、同時に、何かを諦めていくことになる。


 意外と、悲しくはない。
 成熟したのか、くたびれた大人になったのか。
 思春期がようやく終わったということなんだと思う。


 思春期に社会からドロップアウトし、こじらせた人は、肥大した自意識を抱えていることが多い。俺もそうだ。
 全能感に溢れる自画像と、何も出来ない惨めな自画像とが、絶えず入れ替わり続ける。
 「自分は何でも出来るんだ」という誇大妄想のような気持ちと、「俺は何も持ってないし何も出来ないんだ」という過剰なまでに悲観的で厭世的な気持ち。とても幼くて歪な自意識。
 だけどいつの間にか、そういう気持ちに振り回されることが、少なくなっていた。
 27歳にしてようやく、思春期が終わろうとしているのだろう。多くの人や経験と出会うことで、やっと、等身大で落ち着いた自画像を描けるようになってきた。


 出来ることを、やるべきことを、やればいい。そう思えるようになった。
 全てを叶えることはできなくても、自分なりに力を出し切れれば、それでいい。


 何を目指し、何を目指さないのか。
 そしてそれに向けて、何をやり、何をやらないのか。
 絞り込んでいく。思い付くままに手を付けていくのは終わりだ。
 そして、地道に、淡々と、粘り強く、目の前のことをこなしていく。
 一つ一つ、積み上げていく。