正義と微笑

numb_86のブログ

「新しい生き方」をブームで終わらせないために

 信金で働いてたときから、「新しい働き方」というものに関心があった。体調が著しく悪化したこともあり、会社を辞め、違う生き方を実際に模索し始めた。
 その過程で、同じように「オルタナティブな生き方」を提唱する声を、よく耳にした。だが次第に、強い違和感や苛立ちを覚えるようになった。


 以前も書いたが、オルタナティブを気取る界隈(私含む)は、アマチュアを賛美したり、荒削りであることを賞賛したりする傾向がある。未完成をよしとする。「この素人っぽさがいいんだよ」と。
 分かる奴に分かればよい。そういう態度。
 だがそれは、自分たちが未熟であることから目を背けるための、言い訳のように思えた。


 さらに言えば、分かってくれる「身内」や「信者」で盛り上がっているだけで、ただの自己満足にすら見える。
 自分の人生を変えることにも、社会を変えることにも興味はなく、ただ革命ごっこをして気持ちよくなっているだけ。
 意識の方向性が違うだけで、いわゆる「意識の高い学生」と同じ。仲間内で楽しみ、何かをした気になって、自分に酔っているだけ。


 「僕達が世界を変えるんだ」という若者はきっといつの時代にもいて、そして当然、その大半は口先だけで何もせずに去っていく。
 今はまさに、そのサイクルの一つが終わる時期なんだと思う。震災やソーシャルメディアで盛り上がった勢いは、完全に衰退してきている。飽きてしまったのだろう。


 もちろん、どういう生き方をしようとも、個人の自由だ。
 偉そうなことを言うだけ言って、自分は何の努力もせずに逃走。それもまた一つの生き方なのかもしれない。


 ただ、残念だし、虚しくなる。
 結局、騒ぎたかっただけで、本当に何かを成したかった訳ではないんだなと。
 ただイベントをしたかっただけ。ただ自己顕示欲を満たしたかっただけ。
 そういう人たちを見てると、虚しくなる。


 何より、これでは誰も救われない。
 「文化祭」はいつか終わり、遠からず「自分はただの貧困層である」という現実に直面せざるを得ない。
 また、誰かに影響を与えることもなく、社会を変えることもない。
 はしゃいで、騒いで、それで終わり。
 自分が救われることも、困っている若者や労働者が救われることも、ない。
 

 もっと、社会と向き合うべきなのではないか。
 社会が悪い、大人が悪いと駄々をこねるのではなく、社会に通用するような手法や論理を、模索すべき。
 そうじゃなきゃホントに、ただの自己満足だ。


 本当に何かを変えたいのなら、己の実力不足を直視し、拙いなりに社会と渡り合っていくべきだ。自分の主張や理想を通すために、社会にぶつかっていく。内輪ノリに逃げるのは止めにする。


 社畜時代は本当につらかった。その後も、今はたまたま何とかなっているけど、常に貧困と隣り合わせの人生だ。
 労働問題以外にも、解決したい社会課題や、探求してみたい問題は、たくさんある。
 薄っぺらい「ソーシャル野郎」や「イベント屋」みたいな連中には、絶対になりたくない。
 だから、ちゃんと社会と向き合って、地道に実践を繰り返していきたい。
 傍目から見れば、地味で、つまらないんだろうけど、そういう取り組みこそが実を結ぶ。本当に「オルタナティブな生き方」を確立していきたいというのならば、空疎なパフォーマンスに現を抜かしている場合ではないのだ。