正義と微笑

numb_86のブログ

なぜ社会問題をブログに書くのか

 内省的であったり、社会問題の話であったり。なぜそういうブログを書くのだろう。
 別にアクセスを期待できるネタではないし、仕事につながるわけでもない。
 俺が社会問題について書いたところで、それが社会に役立つことはない。
 でも書く。書きたくなる。
 何故なのか考えてみた。
 当然、この記事にも具体的な目的はない。

自分の考えを整理し、まとめたいから

 これは大きいと思う。
 俺は本当に、論理的にものを考えることが出来なくて、思考を前に進めることが出来ない。グルグルと同じ所を回ってしまったり、脱線して取り留めのないことを考え始めたり。
 そのことを最初に自覚したのは、中学生のとき。大人に意見したけど、上手く出来なかった。というか、相手にされなかった。論点をずらされたり、はぐらかされたりして、まともに取り合われなかった。今の自分ならもっと上手くやりあえる気がするけど、当時は、本当にいいように丸め込まれていた。
 悔しいのと同時に、自分の機転のなさや、考えを整理する力の弱さを、痛感した。どうすればもっと筋道立てて思考を組み立てられるようになるのか、考えた。
 そして、キッカケは忘れたけれども、思考を書いていけばいいのではないかと思い付いた。
 文字にすることで、頭のなかにあるモヤモヤとしたものが、明瞭な形をとる。思考の流れが記録されているから、錯綜することもない。寄り道せず、前に進んでいける。
 俺は今でも、考えをまとめるときは「書く」ようにしている。むしろ、そうしないと考えをまとめることが出来ない。
 何となく自分の頭に思い浮かんだことを、整理したい。そのためにブログに書いているというはあると思う。

第三者の視線を意識することで、多少なりとも考えが洗練されるから

 考えを整理することだけが目的なら、チラシの裏にでも書いてろよという話になる。ブログというオープンな場に書くのは、それによるメリットがあるからだ。
 オープンな場に公開することで、それがいい意味でプレッシャーになる。突っ込まれないよう、自分の理屈に粗がないかチェックするようになる。おかしな箇所はないか、論理が飛躍していないか、もっと適切な表現はないか。
 そうすることで、自分の考えが少しはブラッシュアップされる。それが、ブログに書くことのメリットの一つだ。

記録することで、記憶を補いたいから

 これも大きい。
 稚拙な内容かもしれないけれど、せっかく自分なりに考えたり感じたりしたのだから、それを記録に残しておきたい。そうしないとすぐに忘れてしまう。
 ブログに書いておくことで、後日見返すことが出来る。

文章を書くこと自体が快楽だから

 このブログは、自分が趣味で勝手に書いている。だから、何にも気兼ねすることがない。
 しかも、特定の目的を持たずに書いている。だから、好きなように書ける。これが例えば、何かの宣伝や主張を目的としていたら、こうはいかない。その効果を高めるために、色々な工夫をすることになるだろう。好きなように文章を書くのではなく、「どうすれば刺さるか」や「どうすれば拡散されやすいか」を考え、それに基いて修正していくことになる。余計な「意図」が介在してしまう。
 このブログにそういう「意図」が全くないとは言わないけれど、基本的には、好き勝手に書いている。
 脳味噌のなかをそのまま吐き出せる。
 そしてそれは、とても楽しい。思ったこと、感じたこと、考えたこと、それを自分なりの言葉でまとめあげ、形にする。
 それは自分にとってとても気持ちよく、ストレス発散になっているんだと思う。

承認欲求を満たすため

 あまり認めたくないが、これもやはりあるのだろう。
 「俺様の高尚でハイレベルな意見をネットの世界で開陳してやるぜ!」という感情は、完全には否定出来ない。
 そこまでいかなくても、書いた記事に対して反応があれば、嬉しい。

ネットや他人のブログが好きだから

 インターネットの世界は、面白いブログがたくさんある。
 だから、それに憧れて、自分も何かを表現しようとしているのかもしれない。
 「はてな」を選んだのも、当時、「はてな」で面白いブログを複数読んでいたからだ。自分も、彼らのようになりたかった。
 ネットの世界には、啓発的な問題提起や、心に響く独白、好奇心を刺激してくれる記事が、山ほどある。自分なりに、彼らの真似をしているのだろう。出来れば自分も、人の心を動かすような何かを生み出したい。そういう願望があるんだと思う。


 こんなところだろうか。