正義と微笑

numb_86のブログ

人を嫌うことは罪なのか

 先日、ブルーカラーへの嫌悪感や、そこに自分が足を踏み入れてしまうかもしれないという恐怖感などを綴った記事*1を読んだ。その記事に対して、「ブルーカラーを見下すのはよろしくない、職業に貴賎はない」という反応があったらしい。


 職業に貴賎なし、というテーマとはちょっとずれるが、人を嫌うことは許されないことなのか、という問題は以前から気になっていた。
 しかも自分は、引きこもりや対人恐怖症、失業者、低所得者などの「軽んじられ、避けられがちな人たち」に関心がある。(元)当事者でもある。


 自分の結論としては、たぶん、許されるのだと思う。
 というか、許されないとするのは、まったく現実的ではない。
 人間である以上、好悪の感情は、自然に生まれてくる。それを過剰に押し殺すのは望ましくない。他者を嫌悪するのも、避けるのも、冷たくするのも、許されるべきだろう。望ましくはないけれども、禁じるわけにはいかない。


 もちろん、嫌われる側は、たまったものではない。嫌われやすい人間からすれば、「人を嫌う自由もある」なんて、素直には受け入れられないだろう。冗談じゃないって思うはずだ。
 俺だって、非主流派であり、被抑圧者、スクールカースト下位の人間だった。
 選ぶ側ではなく、取捨選択される側だった。
 値踏みされ、軽く扱われてしまう理不尽さは、分かっているつもりだ。


 それでも、人が人を選び、相手によって扱いを変えるのは、自然なことだ。そもそも、自分が「被抑圧者」だからといって他者を取捨選択していなかったのかといえば、そんなことはない。やはり自分も、人を選んでいた。ただでさえ弱い自分の立場を守るために、積極的に付き合う相手を選んでいたような気さえする。


 嘘ばかりつくような人間が愛されないのは、当たり前のこと。
 誰だって、一緒にいて楽しい人、くつろげる人と過ごしたい。そうでない人間のことは、自然と避ける。
 個人間だけではなく、企業と個人の関係も一緒。怠惰で言い訳ばかりの人間を、雇うわけがない。誰だって避ける。責任感がなく、いい加減で、詭弁を弄し、すぐに逃げる。そんな人間を雇おうと思う経営者はいない。
 それに対して、愛せ、雇えと迫るのは、間違っている。
 人を避ける自由、嫌う自由は、ある。当然に。


 しかし、そこで思うのは、嫌われやすい要素を多く抱えたまま大人になってしまった人は、どうすればいいのだろうかということ。
 そういう人と無理して仲良くなる必要なんかない。距離を取るのは当然だ。人には、付き合う相手を選ぶ権利がある。実際にはそれぞれに事情があり、そう思い通りにはいかないけれど、原則としては、相手を選んでいい。好きじゃない人と無理して過ごす必要はない。
 しかしその結果として孤立してしまう人は、どうすればいいのだろう。好かれにくく、多くの人に避けられてしまうような人。そういう人たちはどうすればいいのか。それを自己責任で片付けてしまうのは、違和感がある。何かが違う気がする。
 自分が嫌われる側の人間だった場合、納得出来ない。


 傾向として、会話能力に難がある人、卑屈な人、他者との距離感を上手く取れない人、感情のコントロールが苦手な人等は、円滑な人間関係を築きにくい。そういう人が孤独に陥っていくのは、気の毒だなと思う。かといって、周囲の人たちに、その人とも仲良くしなさいと強いるのは、やはり違う。というか、「仲良く」を「強いる」という時点で、滅茶苦茶だ。


 「人を嫌うことは罪なのか」というのは、哲学や政治思想の分野では、初歩的なテーマなのだと思う。どういう答えが出ているのだろうか。


 冒頭で述べたように、軽んじられる人たち、苦境にいる人たち(の一部)に、関心がある。どうすればもっと生きやすくなるのかと。しかし同時に、人が人を選別することは、自然なことだと思っている。この2つ上手くを両立させることは、可能なのだろうか。