正義と微笑

numb_86のブログ

無為が許されるのは、大学生とご隠居くらい

 http://mainichi.jp/select/news/20140131k0000m040143000c.html
 http://mainichi.jp/select/news/20140131k0000m040144000c.html


 大学中退に関する記事。
 大学中退は、その後の人生に影を落とす可能性が高く、引きこもりやフリーターとの関係も指摘されている。
 本人にとっても社会にとってもマイナスであり、調査や対策に動くのは間違っていない。大学側が積極的なサポートを行うのは、悪いことではない。


 ただ個人的には、大学はこれまで通り「自由放任」であって欲しいと、思わなくもない。
 干渉されないこと、放っておかれることこそが、大学が持っている特徴の一つ。大学は、働きもせず勉強もせずで許される、数少ない場所なのだ。


 「無為」が許される身分なんて、現代日本では大学生と隠居した老人くらいではないだろうか。
 他の身分では、何らかの「意味」や「役割」を求められてしまう。無為に過ごそうとすると、何らかの抑圧や批判が加えられる。無意味にフラフラ過ごしても後ろ指さされない身分なんて、大学生くらいのように思う。


 大学のような自由な場が存在しているのは、社会にとって非常に重要だ。個人にとっても、若い時期に自由な数年間を過ごすことには、大きな意味がある。


 人生の早い段階に「自由な時間」が確保されていることで、人生の立て直し、リセットが可能になる。
 私自身、大学に通うことで、引きこもりを克服した。私にとって大学は、対人恐怖症のリハビリ施設だった。そこには同世代との交流があり、それでいて拘束はゆるく、自分のペースで歩いて行くことが出来た。
 引きこもりに限らず、大学生という「猶予期間」があることで、じっくりと腰を据えて自分の人生を再建していける。


 また、「自由」は、「挑戦」を後押ししてくれる。いろんなことにチャレンジできる。社会人になってしまうと様々な制約が生まれてしまうが、大学生なら、ある程度のリスクや失敗は許容できる。その分、新しい課題に挑戦していける。その結果がどうなろうと、新しいことや難しいことに挑んだ経験は、その後の人生に間違いなくプラスになるだろう。


 自由と並ぶ、大学のもう一つの特性が、多様性だ。
 もちろん大学内にも序列や競争はあるし、力関係は存在する。だが、他の様々な場に比べれば、それはかなり緩やかなものに思える。
 周囲の人間も多少は大人になっているし、スクールカーストも和らいでいる。
 密室性が低く自由であるがゆえに、不毛なパワーゲームや価値観の押し付け合いが発生しにくい。
 高校以前や企業だと、なかなかこうはいかない。特定の価値観や物差しによって色付けられてしまうし、優劣や序列が明確に存在する。
 大学という場はどんな人間でも比較的、存在を許されやすい。それこそ、私のような対人恐怖症の元ひきこもりでも、無事に通い続けることが出来た。


 冒頭で紹介した中退問題は、まさに大学が緩やかな場であるからこそ、発生してしまうのだろう。
 介入や干渉を行わなければ、零れ落ちてしまう学生を掬い取ることが出来ない。サポートや指導を強化しようというのは、妥当な対応だと思う。
 難しいところだけれども、中退予備軍へのサポートを行いつつも、自由や多様性を残して欲しいとも思う。