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正義と微笑

numb_86のブログ

精神の筋力

 以前読んだブログで見かけた、「精神の筋力」という表現。
 いい言葉、いい概念だと思う。
 体力や筋力の存在は誰もが認めるところだけど、精神の強さやスタミナも、同様に存在する。
 体力が無ければ作業できないし、作業すればするほど、体力は低下していく。
 精神も全く同じ。一定以上の筋力が必要だし、使えば使うほど消耗していく。休むなり栄養補給するなりしないと、回復しない。


 現代においては、精神の筋力もまた、体力と同じくらい、あるいはそれ以上に、重要となる。
 捨て鉢にならず、逃げ出さず、継続する力。
 目の前の作業に集中し続ける力。
 注意しながら、思考し判断しながら、物事を進めていく力。
 気遣いながら、人と社交する力。
 ストレスを受け止め、いなしていく力。
 危機に陥ったとき、踏みこらえ、跳ね返す力。
 そういった力が、現代で社会生活を営んでいくうえで、決定的に重要になる。
 精神の筋力がない者は、社会についていけない。適応しきれない。


 にも関わらず、その重要性は認識されていない。
 体力や身体能力に個人差があることは誰もが認めるのに、精神の筋力においては、個人差が認められない。
 そもそも、「精神の筋力」という概念そのものが認識されていない。
 下半身不随の人間に走ることを強いるのは悪だが、精神が脆い人間に強い負荷をかけることは、悪ではない。誰もが、出来るはずなのだから。
 出来ない人間は「精神の筋力が弱い」のではなく、単なる怠惰と見なされる。根性なしと、切って捨てられる。


 世間がどう見なそうと、精神の筋力が人生を左右するのは、紛れも無い事実である。
 「個性」では済まされない。
 生存に有利な能力を有していれば生きやすくなるし、有していなければ苦汁をなめることになる。誰もが生きやすい社会というのは「ユートピア」であって、現実に訪れることはない。
 有利な能力は、時代や社会によって変わる。
 腕力がものを言った時代もあるのだろうし、家柄が決定的な影響を及ぼす社会もあるだろう。
 そして現代社会では、精神の筋力が雌雄を決する。


 「精神の筋力」の存在を無視したどんな叱咤も改善案も、全く無意味である。人生に困難を抱えた者、あるいは自分自身を救いたいのなら、この筋力に着目しなければならない。