正義と微笑

numb_86のブログ

結果を変えたければ、まずその原因を変える

 自分は何に関心があるのか。何を自分の目標や理念とすべきなのか。
 そういったことを少しずつ、掘り下げている。
 自分の欲求や傾向は、気付いているようで、なかなか気付けないから。ぼんやりしてたら、あっという間に人生が終わってしまう。そのうち見つかるだろうなんていう考えは、よくない。
 これこそが自分が取り組むべきテーマである、そう信じられるものを見つけたい。
 そのためには、もっと自分のことを知る必要がある。頭や心のなかに存在しているものを、明晰な言葉にしていって、自分自身で理解できる形にしていく。


 最近、自分の傾向について感じたことがあるので、記録しておく。


 特定の状況や特定の状態を解決することには、あまり関心がない。
 対処療法よりも、体質改善を好む。


 例えば、貧困に関する書籍をいくつか読んだが、貧困状態そのものを解決することには、関心が向かない。
 だから、貧困の具体的な定義であるとか、当座の生活支援の話だとかには、あまり興味を持たない。それよりも、なぜ貧困が生まれてしまうのか、どのような社会構造がどのようにして貧困者を生み出してしまっているのか、といったことに興味がいく。


 若者支援にしても同じ。以前ボランティアで関わっていたことがあるが、個別の就労支援に、そこまで強い意義を感じることは出来なかった。絶対に必要な支援だということは分かるし、相談者に必要なのはとにかく職なのだとも思う。それは分かるし、何も間違っていない。
 だが、どうしても違和感を感じてしまう。就職させることに、そこまで価値を感じられない。
 就職さえすれば、それで幸せになれるのだろうか。彼(彼女)が抱える生きづらさは、解消されるのだろうか。もっと根源的な部分に手を打たないと、相談者の人生は好転しないのではないか。表面的な部分だけいくら手を加えても、意味が無いのではないか。そういう風に考えてしまう。


 もちろん、仕事がなければ生存すら脅かされるのだから、職探しを支援するのは当然。
 だけど、焼け石に水のように感じてしまうのだ。キリがないし、根本的な解決にはなっていない。本当にただの、対処療法
 それに、「引きこもり」や「若年無業者」を生み出してしまう社会環境や構造を変革しないまま、一人一人の「引きこもり」にアプローチし続けるような手法は、不毛というか、イタチごっこのように思える。
 だったら、社会環境や就労環境、労働市場に手を加えたほうが、時間はかかるし大変だが、正道であり、本質的な問題解決につながる。


 自分は、現象ではなく、要因、構造、状況に関心が行く。
 特定の現象そのものではなく、どのような要因によってそれが生まれ、その背景にはどんな構造があるのか。
 そこに目を向けたほうが、より効果的に改善していけるはずだと考えている。
 現象そのものに手を加えるアプローチは、「非効率だ」とどうしても考えてしまう。


 それは、対個人でも対社会でも同じ。
 個人に対しては、目先の就労支援ではなく、もっと汎用的な能力や経験を積ませる。自分が自己肯定感に関心を抱いているのも、それが非常に重要で、人生に大きな影響を与える汎用的な要素だから。個別具体的な瑣末なスキルよりも、自己肯定感や成功体験のほうが、人生に与える影響は大きい。そこに目を向けず、未就労や怠惰や孤独といった「現象」にだけ手を加えようとしても、効率が悪いように思う。なぜ働けないのか、なぜ努力できないのか、なぜ人とつながれないのか。その背景を探ったほうがいい。
 社会に対しては、発生してしまった現象の改善よりも、発生の抑止に努める。例えば、ホームレス問題。目の前のホームレスの人たちを支援することはもちろん大切なのだが、それだけではなく、そもそもホームレス状態が発生しにくくするための施策を打っていく。他の社会問題にしても同じ。そもそも問題が発生しないようにしていく。そのためには、問題を生み出している状況や構造を理解する必要がある。


 結果よりも理由に、関心がある。なぜ、そうなっているのか。なぜ、こういう状態が生まれているのか。それを知りたいし、そこにアクセスしたいと考える。
 「理由」があるから「結果」がある。理由を把握し、それを除去するなり変化させるなりすれば、自ずと問題も解決されるのではないだろうか。
 逆に、理由を放置したまま「結果」だけを変えようとするのは、効率が悪いように思える。膨大なエネルギーが必要になる。しかも上手く行ったとしてもそれは一過性のもので、理由が放置されているのであれば、また同じ「結果」が生まれてしまう。


 ただ、多くの場合、理由を変えていくのには時間がかかる。問題が複雑に絡み合い、相互に作用し合い、解決の糸口すら掴めないこともある。
 だから、取り敢えずまず結果だけを変えようというアプローチも、間違っているわけではない。不具合が生じているのなら、困っている人がいるのなら、まずはそれを解決しよう。対処療法であり、その場しのぎであり、一過性のものだと分かっていても、まずは目の前の課題を解決しよう。それはそれで、当然の対応である。
 理由そのものを変えようとするアプローチ。目の前にある結果を変えようとするアプローチ。どちらが上ということはないし、どちらも必要。
 たまたま俺は、前者に、「理由」に、関心を向けがちだということ。単なる好みの問題に過ぎない。


 繰り返すが、どちらが上、ということはない。あくまでも個人的な意見に過ぎない。
 でもだからこそ、大切なのだ。
 自分の問題関心や傾向を知ることは大切。
 関心を持てないことに取り組んでも、大した成果は出せないだろう。自分が意義を感じられることに取り組んでこそ、結果を出せる。
 各自が、「これが重要だ」と思えることに取り組めば、社会全体で大きな成果を得られる。意義を見出せないことに、従事する必要はない。
 対処療法をやりたい人はやる。構造の変革をやりたい人は、それをやる。それでいい。自分が好きなことをやってこそ、それぞれの力が100%発揮される。そして結果的に、社会全体としての効用が最大になる。
 私は、結果や現象ではなく、理由にアプローチしたい。そのほうが意義を信じられるし、自分の力も出し切れると思う。