正義と微笑

numb_86のブログ

司法が無法なのは、国民由来でした

 以前から、代用監獄問題に象徴される、日本の司法の中世っぷりに関心がある。

 日本の逮捕があまりにもヒドイ件


 日本の司法や警察はひどいな、中世レベルじゃないか。国民の人権が絶えず危機に晒されている!
 ……そう思っていたんだけれど、どうも最近、そもそも国民が中世レベルなんじゃないかと思い始めた。
 キッカケは、以下の出来事。


 まんだらけ、万引き犯公開を中止 警察に捜査ゆだねる - ITmedia ニュース
 お探しのページは見つかりません-南日本新聞社


 窃盗犯に対して、警察や司法ではなく私人が勝手に制裁を加えている。当然、こんなことは許されないのだが、思いの外、賛同する人が多いらしい。まあ、深く考えているわけではなく、お祭り気分で「やっちまえ!」ということなんだろうが。私刑、私的制裁は許されませんという基本原則が、全く理解されていない。


 他にも事例がある。
 去年の夏頃に大きな話題となった、いわゆる「バカッター問題」。ツイッターで犯罪自慢を行う若者を見つけ出し、その個人情報を調べあげ、それをネットで公開する。まるで厨二病のように「正義の執行者」気取りで私刑を行う彼らに、少なくない人が賛同した。
 それから、生活保護問題。生活保護の制度自体に疑問を抱き、貧乏人は死ね、貧困や弱者は自己責任、という意見が、根強く存在する。
 どこまで本気か分からないけど、「犯罪者に人権はない」みたいな意見も見かける。


 日本の司法や警察には大きな問題がある。量刑のバランスも、再考の余地があるかもしれない。しかし、だからといって、私的制裁を行ってよいということにはならない。「犯罪は悪いことである、だから犯罪を犯した人間にはリンチしてもいいんだ」という主張には、目眩がする。


 こういうのを見ると、日本人の人権意識は相当低いなと感じる。
 私も素人だけど、あまりにひどい。
 「法治国家」という概念すら、理解していないのかもしれない。


 日本の司法の無法っぷり、人権侵害っぷりは、国民由来でしたという話なんだろう。国民が、人権や法治を望んでいない。私刑をやらせろ、気に入らない奴は魔女狩りだ、というメンタリティ。だから当然、司法や警察も、中世レベルになる。仕方ないよ、国民がそのレベルなんだから。


 ある意味でこれは、リベラル派の大敗北と言える。


 人権を守り、人権意識を高めるべき彼らが、そういう仕事を全くせず、誰か(男性、日本、自民党、など)を糾弾するための道具として、「人権」というワードを利用してきた。
 それどころか、自分の気に入らない相手に対して「人権侵害」というレッテルを貼り付け、一方的に議論を封殺するような真似すらしてきた。
 その結果、人権に対する誤った理解が広がってしまった。


 人権が、うるさいものだと思われている。
 自分の利益を声高に主張するためのもの。誰かを攻撃するためのもの。「人権」は誰かと奪い合うもの。特定の誰かに利益誘導するもの。誰かを不当に優遇するためのもの。


 「犯罪者に人権はない」と考えてしまうのも、人権を認めてしまえば相手の言い分を受け入れることになってしまうと、認識しているからかもしれない。
 人権というものが、それを盾に自分の要求を押し通すためのもの、と思われている。だから、「犯罪者の人権はない」とかそういう話になるのだろう。


 やかましく権利を要求すること、と思われている。「人権を尊重する」ということが。


 実際、リベラル派はそういう使い方をしてきた。認め合うためではなく、弱者を守るためではなく、気に入らない誰かを叩くために。政治活動のために。イデオロギー論争のために。都合のよい「弱者」を担いでそれを錦の御旗にするために。人権をダシにして便宜を引き出すために。


 リベラル派には何の期待もしていない。いずれ何らかの形で代用監獄問題等にも取り組んでみたいけど、そのとき、リベラル派や「人権派」の皆さんは、役に立たないどころか、障害にすらなる気がしている。