正義と微笑

numb_86のブログ

創作活動における承認欲求や自己顕示欲について

 久しぶりにサイトをリニューアルした。それに伴い、文章を書いたり何だりしていたのだけど、そこで思ったこと。


 承認欲求や自己顕示欲は、そのまま創作物に反映されてしまう。認めてもらいたい、自分の存在を見せつけたい、自分の能力をアピールしたい、そういう気持ちはそのまま、アウトプットしたものに反映される。あまりにもストレートに。
 それが上手く作用することもあるかもしれないけど、基本的には、作品の質を下げる。純粋な表現活動のはずが、自分をアピールするための手段になってしまっているのだから、当然ではあるけど。何かを表現したいからではなく、自分をひけらかしたいから、創作活動をする。それで上手くいくはずがない。


 自分の場合は文章を書くことが多いから、以下、文章を例にして話を進める。


 自己顕示欲が満載の文章というのは、すぐに分かる。背伸びしたり、虚勢を張ったりしてる、あの感じ。
 多くの人は、何となく感覚で、気付く。文章に託されている見っともない感情を、嗅ぎとる。その理由をはっきりと分析出来る人は少ないかもしれないが、なんか魅力のない文章だいうことは、無意識のうちに感じている。


 ここのところ、そういう文章を読む機会が何度かあって「げー」となった。鬱陶しいというか、読み手を不快にさせるというか。
 そしてそこには、同族嫌悪のような感情もあったと思う。
 自分の書いている文章、そのダメな部分を見せつけられているようで、嫌だったのだ。


 ポール・グレアムの文章とか、本当に素晴らしいと思う。エリック・レイモンドの『How To Become A Hacker』も名文だと思う。まあ、自分が読んでいるのは日本語訳だから、訳者がすごいと言ったほうがいいのかもしれないけれど。
 示唆に富み、すごい深さを持っている。それでいて平易であり、読みやすい。堅苦しいところがまるでない。
 自分もこういう文章を書けるようになりたい。


 自分の文章は、堅苦しくて、クドクドしていて、持って回ったような言い方ばかりしている。先に挙げた人たちのような「簡潔さとパワフルさを兼ね備えた文章」というのとは、程遠い。


 堅苦しくなってしまうのは、そうしないと主題を伝えられないからなんだろう。もっと訓練して、文章の技量を上げよう。
 そして、自分をすごく見せるために難しい言い回しをしようとしている、というのも事実なんだろう。だけど本当は難しく言う必然性なんて無いから、チグハグしているし、何だか言葉が上滑りしている。結果、文章としての質は落ちるし、自分を見せつけようという目論見も失敗する。当然だ。難しい言い回しを無理して使っているだけなんだから。


 もっと自然体で書けるようになりたい。難しい表現をするのは、そうする必然性があるときだけ。大切なのは、文章の質そのものを高めること。読みやすくて深みのある文章を書くこと。


 だけどそのためには、普段から承認欲求を満たしておく必要がある。日々の生活のなかで、承認欲求や自己顕示欲を適切に消化(昇華)しているからこそ、創作物にそれを反映させずに済む。
 自然体で創作に打ち込むためには、心がフラットな状態でないと難しい。
 心の安寧。メンタルマネジメント。それが求められている。
 余計な動機を挟みたくないんだ。