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正義と微笑

numb_86のブログ

なぜオープンソース・ソフトウェアの思想に惹きつけられるのか

 以前、こんなエントリを書いた。

 私はなぜウェブが好きなのか - 正義と微笑

 そして、ネットのなかでも自分は特に、「オープンソース・ソフトウェア」という文化に心惹かれる。
 自分がそういうのに参加したことはないから、単なる憧憬ではあるんだけど。
 何がそんなに、魅了させるんだろうか。


 ネットの素晴らしい部分が表現されているから、だと思う。

 ネットの理想が実現している。
 冒頭のエントリでウェブの素晴らしさを書いたけど、実際にはそんなに単純ではない。ウェブの影の部分とか、理想通りにいっていない部分とかは、どうしてもある。梅田望夫が言ったとされる「日本のウェブは残念」は、それなりに真実だと思う。
 そんななか、オープンソースという文化は、比較的上手くいっているように思う。

 インターネットの素晴らしさ、みたいなものが体現されている。
 そんなイメージがある。


 一番大きいのは、適切な評価制度がある、ということだと思う。これが根底にある。
 コードの質、が唯一の尺度。それによって、いい意味で淘汰が進む。ノイズが排除される。もちろん、「何がいいコードなのか」というのは難しい問題だし、いろんな考え方があるけど、「コードのクオリティ」という一応の尺度がある。
 素晴らしい仕事をすればそれは評価され、クソコードは相手にされない。

 他の分野ではこうはいかない。クソコードならぬクソコンテンツが、幅を利かす。
 はてなブックマーク人気エントリーを見ても、面白いものもあるが、中身からっぽのものも多い。知性を放棄したかのような薄っぺらい言説が、注目を集めたりする。
 どんどんノイズが増えていく。


 オープンソースの世界では、質の悪いものが持て囃されることはない。そしてそれは、自由や平等を生み出す。
 誰が書いたかではなく、何を書いたかが問われるからだ。

 理念としてはネットは平等だけど、実際にはそうはなっていない。
 有名人、炎上マーケティング、大手メディア。そういうものが注目を集める。人気と質の高さは、必ずしも比例しない。

 だがオープンソースでは、質の高さこそが問題なる。
 だから誰でも、いいものを作れば、適切に評価してもらえる。炎上マーケティングなんてものは、発生しない。真の意味での、自由と平等。



 中身のあるものでないと生き残れないという性質は、敷居の高さを生む。参入障壁。
 それにより、集団のクオリティが維持される。功名心だけの無能者は、入ってこれないのだから。

 このことは「平等」という理念にそぐわないようにも思えるが、そうではない。
 あくまでも、能力による障壁だ。能力が高ければ、誰でも入っていけるし、これはすごく平等だと思う。
 知名度だけの人間が地位を独占していたり、タチの悪い素人が入り込んで場を荒らしてしまったりする世界より、よっぽど健全だろう。


 上記のような特徴により、「集合知」というネットの理想が、実現されている。
 参加者が技能や知識を提供し合い、よりよいものに改善されていき、少しずつでも社会に貢献していく。
 これはまさに、ネットの理想そのものだと思う。