正義と微笑

numb_86のブログ

メタではなくベタを 2015年2月の活動報告と、今後の方針

  • 読書
  • 創作活動
    • ほとんどをここに費やした感じ。それでもまだまだ、終わらないけど。
  • ランニング
    • 2月は1度も走らず。


 ずっと一つのことをやっていた。おかげで、だいぶ前に進んだと思う。
 英語は止めた。ランニングは再開する予定だけど、少しだけ。
 いろんなことが中途半端になっている自分に嫌気が差し、目の前のことに集中することにした。
 本当はもっと色んなことをしたいんだが、このままでは、何一つとして出来ない気がするから。いつまで経っても何も始まらないまま、今年も終わってしまう。
 だから一つのことに、リソースを注ぎ込むことにした。


 『アオイホノオ』を観た。ドラマのほう。
 テレビドラマはもう何年も観ていなかったけど、楽しめた。

 主人公であるホノオの希望と絶望に共感し、庵野のストイックさと才気に憧れた。
 「ひとかどのクリエイター」(ホノオの夢)になりたい人には、必ず刺さるものがあると思う。例えば、初めての自作アニメが完全な無反応に終わった時のホノオの心の叫びや独白は、すごく共感できる。分かる。

 もともとコメディ作品であるため、ライバルである庵野と対比して、ホノオはどうしても、カッコ悪い役どころになってしまう。失敗や勘違い、現実逃避を繰り返し、なかなか実を結ばない。クリエイターとしての芽は出ない。ひたすらストイックに作品を作り続け、賞賛を浴びる庵野とは対照的に、空回りしてばかり。
 だけど、そういうカッコ悪い日々を経ないと、大成しないんだろうなと思う。恥をかいて、自分のダメな部分を突き付けられて、自分の無能さを痛感する。そうやって痛い目を見ないと、成長できないんじゃないだろうか。


 この記事からも、同じことを感じた。
 表現者が守るべき「ご機嫌さ」――久保ミツロウ×マキタスポーツ対談【第1回】|一億総ボケ社会を目指して|マキタスポーツ/久保ミツロウ/cakes編集部|cakes(ケイクス)

 誰も彼もがツッコミに回りたがり、ボケをしようとしない。偉そうに批評してツッコミを入れることがクールだとされている。インターネットがそれを促進した。

 自分にも覚えがある。
 インターネットは本当に、そういう価値観に蝕まれている。

 ベタなのはかっこ悪く、それを俯瞰で見て、メタな立場で批評するのがクール。
 いかにしてメタな立場に立つのかの、しょーもない競争。ベタな連中をメタな立場で眺める人たち、それをさらにメタな立場で批評し優越感を感じる人、をさらにメタ的視点で冷笑する俺。その無限ループ。

 すかすのがカッコイイとされている。俺はこんなのに夢中になっていないぜ、ブームに乗せられないぜ、冷静な俺スゲー。

 だけど彼らは、何も作らない。何も生み出さない。匿名の、薄っぺらな、消費者たち。

 批評ですら無い。批評は、それはそれで創造的な行為であり、建設的なものだと思う。
 だが、メタを気取る彼らがやっていることは、批評にもなっていない。

 批評すること、意見をいうこと、が目的なのではなく、優越感を得るため、他人を見下すために、批評家ごっこをしているだけ。
 だから、批評としての価値もない。ただの雑音やクレーム。

 彼らは何も作らない。
 世界を面白くするのはメタではなくベタだと思うし、そのほうが自分の人生も面白くなると思う。


 3月は、すぐにメタな視点に立って優越感を得ようとする自分を抑え、ベタベタに頑張ろうと思います。