正義と微笑

numb_86のブログ

会田弘継『追跡・アメリカの思想家たち』

 アメリカの政治思想家たちは何に危機感を抱き、どのように問題に取り組んだのか。その半生と思想を描いていく。
 思想についての解説というより伝記に近く、とても読みやすい。筆者が学者ではなく報道出身だから、というのも大きいだろう。
 紹介されている思想家はいずれも政治思想史上の重要人物であり、現実の政治に大きな影響を与えた。


追跡・アメリカの思想家たち (新潮選書)

追跡・アメリカの思想家たち (新潮選書)



 リベラリズムリバタリアニズムについても紹介されているが、紙幅の多くは「保守主義」について割かれている。


 保守主義、という言葉が使われる際、それは、国粋主義や体制派、外交的にはタカ派、と同一視されることが多い。
 だがそれは間違っている。政治的にそれらと結びつくことはあるかもしれないが、本来は、別個のものである。

 保守主義の本質、それは、近代批判である。本書も、「近代」とどのように向き合うのかということが、テーマの一つになっているように思える。

 本書で紹介されている思想家の多くは、アメリカ(自由主義と民主主義)もソ連共産主義)も同類だと見做していた。
 どちらも近代の産物であるとして、危険視、あるいは蔑視していた。

 人工的な理念に向かって突き進む「近代主義」に抵抗し、伝統的な価値観や精神性を守ろうとするのが、保守主義である。


 ヨーロッパの保守主義は上記のように説明できるが、アメリカの場合、もう少し複雑である。

 長い伝統を持つヨーロッパと違い、アメリカには伝統というものがない。むしろ、建国の理念である自由主義こそがアメリカの伝統であると言える。
 そのため、アメリカにおいては、自由主義のことを保守主義と呼ぶことがある。

 この「保守主義と名付けられた自由主義」は、敵対者たちと戦う中で、勢力を広げていく。
 その敵対者とは、アメリカ文明を否定するようなカウンター・カルチャーや多文化主義、そして、個人の自由を制限する「大きな政府」、などである。
 これらの敵対者と戦いながら彼らは、アメリカの伝統である自由主義を「保守」しようとした。
 新しい保守主義者、ネオ・コンサバティブ(ネオコン)も、その一部である。


 このように、アメリカには二つのタイプの保守主義が存在する。一方は近代主義を警戒し、もう一方は近代主義(の一形態である自由主義)を称賛する。両者は本質的に相容れない。
 近代を懐疑するヨーロッパ型の保守主義のことを、ネオコンなどと区別するため、アメリカでは「伝統主義」と呼んだりする。


 ではその伝統主義が守ろうとした「伝統」とは何だろうか。何のために、何を、守ろうとしたのか。
 彼らが危機感を抱いた「近代主義」とは何なのか。

 それを本書から読み取ることは、自分には出来なかった。

 本書が扱うのは「思想」ではなく「思想家」だから、仕方ないかもしれない。
 思想家たちはどのような半生を送り、どのような問題意識を抱きながら、思想を紡いでいったのか。そこにスポットが当てられている。


 思想には必ず、それが生み出される背景がある。何か問題があり、それに対する回答として、ある思想が提示される。それが思想史だと思う。
 だからその時代背景や社会状況を理解しなければ、思想を理解することは出来ない。


 例えば、本書の第3章では「キリスト教原理主義」が扱われている。
 この思想もまた、深い問題意識や危機感を背景にして、提示されてきた。この思想がアメリカで影響力を持ったのには、それなりの理由がある。
 無知蒙昧だからキリストや神の存在を信じている、なんて単純なものではないことが、理解できるはずだ。


 分かりやすい現象の背景には、複雑な問題が横たわっている。
 そのことを感じさせてくれる本だと思う。