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正義と微笑

numb_86のブログ

アリストテレスのポリス

 以前読んだ本で、アリストテレスのポリス論が紹介されていた。関心のある内容だったので、メモしておく。
 あくまでも上記の書籍の内容や、そこからの個人的な考えをメモしたものであり、アリストテレスの著作そのものは読んでいないことを断っておく。


 古代ギリシャのポリス。
 それは、善き生活を実現するための共同体であり、そのために作られたのだとアリストテレスは説く。
 そしてポリスは、善き生活を具体的に実践するための場でもある。


 では、「善い」とは何だろうか。
 徳を持って生きることだという。善は、利益や快楽ではなく、徳こそが基準となる。つまりポリスでは、徳を持つこと、徳を実践することが再重視される。


 そうすると今度は、徳とは何か、が問題となる。
 非常に難解ではあるが、ヒントというか、徳を捉えるうえでの重要な概念として、「中庸」と「思慮」がある。

 中庸とは、バランスを取ることを意味する。極端な考えに走らず、偏らず、調和を取っていく。たとえば、蛮勇でも臆病でもなく、勇気。放埒でも禁欲でもなく、節制。
 そしてこれは、単に2で割るとか、文字通りの意味での「真ん中」であるとか、そういう話ではない。
 何が「中」であるかは、置かれた状況のなかで判断していくしかない。

 そしてそのために必要なのが、「思慮」である。
 自分が置かれた状況のなかで徳を実現するには、具体的にどうすればいいのか。
 それを判断するために思慮が必要となる。


 何が「善い」のかは、状況によって変わってくる。TPOで決まってくる。
 だからこそ、思慮をもってその都度判断し、中庸を実践することが大切となる。
 そして、その営みの実践の場こそが、ポリスなのである。


 あらゆる善は、ポリスと結びついている。
 周囲から独立した個人的な「善」というものは存在せず、ポリスとの関係性のなかでこそ、善は存在する。
 ポリスの仲間たちのなかで、徳は発揮される。ポリスに対してどのような影響を与えたか、ポリスのなかでどのような意味を持つか。それによって善の内容が決まってくる。

 それは恐らく、周囲の顔色を窺うとか、周囲に同調するとか、そういう話ではない。
 判断するのはあくまでも、己である。正確には、己の、思慮である。
 思慮を働かせて、ポリスとの関係性のなかで、何が徳に値するのかを判断していく。


**


 何が徳であるかは状況によって異なる、という視点を得られたのは、収穫だった。
 迷走しながら生きているので、自分はどうすべきか、何が正しいのか、みたいなことをよく考えるが、単なる理念やお題目を掲げても、それだけでは無意味なのだ。
 どうすべきかというのは、具体的な状況のなかでのみ決まってくる。
 そして、状況毎に「正解」は異なるのであり、それを判断する能力こそが重要となってくる。

 これは、個人の生き方のみならず、政治経済にも同じことが言えるだろう。
 何が正解かは状況によって異なる。だから、硬直的な理念や原則を画一的に押し付けるのは、間違っている。
 理念や原則を持つことはとても重要だが、その理念を正しく実現するためには、状況をよく観察し、思慮を働かさなければならない。


 社会論、のようなものにも参考になる気がしている。

 ポリスの考え方には、現代社会を支える思想や価値観と反目するものも多い。
 そして何より、ポリスは、奴隷制によって成り立っていた。
 だからそのまま参考にすることは出来ない。

 しかし、倫理や社会を考えるうえでヒントを持っているのも事実だと思う。
 ポリスの考え方は、個人主義リベラリズムとは根本から異なるけれど、だからこそ、現代社会を相対的に見る上でとても役に立つのではないだろうか。