正義と微笑

numb_86のブログ

ヨーロッパの政治状況と、日本のムラ社会

 最近、欧州の政治に興味があり調べている。
 欧州の政治には「思想」があるように見えて、魅力的に思えた。

 どんな社会を目指すのか、そのために何をすべきなのか。
 そういった政治的争点があり、対立軸がある。
 そう見えた。


 翻って日本の政治には、思想を感じられない。
 あるのは、脊髄反射、動物的な反応ばかり。
 誰も真剣には考えておらず、どういう社会が望ましいのか、どういう社会を目指すのか、という発想はない。

 全ては、何となくで、ムードで、雰囲気で、動いていく。
 フワフワした世論で政治が動いていく。
 そこには一貫性も、原理原則も指針も、何もない。

 政治家や官僚に投げつけられる批判も、罵倒の域を出ないものがほとんど。


 もちろん例外はあった。
 例えば、小沢一郎が1993年に出版した『日本改造計画』。
 論理的かつ体系的で、一貫したロジックに基づいた政策提言書だった。

 新自由主義的な思想や人間観を基礎として、経済政策や政治制度、教育改革などを論じた。
 そこには、明確な理念と論理性があった。

 外交についても同様で、小沢は本書で、積極的平和主義を唱えている。軍事も含めた積極的な国際貢献、国連軍の創設、など。ここにも、小沢なりのロジックがあった。その場しのぎの対応ではなく、彼なりの理念があった。

 この主張の特徴は、武装は進めるがそれはあくまでも国際平和という積極的な理念のため、という点である。


 それとは違うタイプの武装推進派として、石原慎太郎がいる。
 よく知られているように、石原も軍備増強に積極的であった。
 だがそれはあくまでも、自国防衛や国威発揚のため、つまり日本自身のためであり、国際社会に貢献するという側面は薄かった。

 石原慎太郎は巧みなアジテーターに過ぎないという見方もあるし、事実、『日本改造計画』のような体系的な政策や思想は、石原からは読み取れないように思う。

 ただ、ロジックはなくとも、石原なりの価値観(信仰?)はあったように思う。
 対等とは言い難い日米関係を見直し、独立や自存自衛を取り戻す。そして、そのために必要不可欠な軍事力を手に入れる……。


 だが、このような石原の思想が有権者から評価されることはなかった。
 多くの批判を受けながらも一定の支持を保ち続けた石原だが、それは知名度やリーダーシップ、それこそ「イメージ」によるものに過ぎない。
 石原の、武装推進による防衛力強化、国際社会(特にアメリカや中国)に対する発言力強化、という価値観に共鳴していた支持者は、そう多くはない。


 小沢の『日本改造計画』も同様だった。ベストセラーにはなったが、その内容が有権者に広く共有されていたとは思えない。
 仮に実力派政治家として注目を集めていたとしても、それは「改革派」というイメージだけで支持されていたに過ぎず、具体的に小沢が何を改革しようとしているのか、そのためにどんな政策を行おうとしているかは、ほとんど理解されていなかったのではないだろうか。


 石原にしろ小沢にしろ、理解されなかった、というよりは興味を持たれなかった、というのが実態に近いのかもしれない。
 両者とも熱心な支持者を抱えてはいたが、それは日本社会全体で見れば、ごく一部に過ぎない。
 大多数の日本人にとって、大切なのは依然、ムードや雰囲気である。

 そしてそれを制したのが、小泉純一郎
 日本の有権者が選んだのは、ナショナリストである石原ではなく、ロジカルな小沢でもなく、ポピュリスト小泉純一郎だった。


 小泉はまさに、ムードや雰囲気によって支持を得ることに成功、戦後3番目(2015年現在)の長期政権を築いた。

 個人的には、小泉政権はむしろ「思想のある政権」だったと思っている。
 外交面はともかく、内政については明確な指針のもとに、政策を打ち出していた。
 規制緩和や民営化推進に代表されるように、新自由主義が、小泉政権の基本的な路線だった。

 だが有権者は、別にそれを支持していたわけではない。
 「頑張った人が報われる社会を作ってくれる」「既得権益層を叩いてくれる小泉さん」といった、小泉の個人的な人柄やイメージを支持していたに過ぎない。
 小泉政権の思想や方針を理解したうえで支持していたのは、財界などごく一部の層だったように思う。


 小泉政権もまた、雰囲気やイメージによって支えられた。パフォーマンス合戦は盛んだったが、政策論争は行われなかったし、そんなものは求められてもいなかった。


 筋の通ったロジックや巨視的なビジョンに支えられた政治。
 そういったものは日本には存在しなかったし、今後も存在しそうにない。

 それが少しは実現されていそうであり、日本よりはマシに見えるから、政治的争点があるように見えるから、欧州の政治に憧れているのだと思う。

小沢や外務官僚は、ムラにまどろんでいればすむ大多数の日本人のいわば例外として、「国際社会で名誉ある地位を占め」ていない日本の悲哀を実感せざるをえない前線勤務を務めてしまったエリートなのだ。立場は違えど石原慎太郎もそうした国際派に属するのだろう。
(中略)
そう。馴れ合いのムラとは、言論が飾りもの以上にはならない日本の世の中なのだ。政策でぶつかる二大政党と自己責任の世の中。そこならば、自分らの言葉が世を動かし得るかもしれない……。それは言論人たち限定の見果てぬユートピアにほかならなかった。

浅羽通明ナショナリズム』pp267-268

 ヨーロッパが、この「ユートピア」に見えるのだ。


 このエントリの石原や小沢に関する記述の大部分は、浅羽通明の『ナショナリズム』に負っている。
 ナショナリズムというテーマで日本の思想状況を独創的に論じており、非常に面白い。
 同じ著者の『アナーキズム』もよかった。


ナショナリズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

ナショナリズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)


 なお、周知の通り、石原慎太郎は既に政界を引退。石原の思想が国政に反映されることはなかった。

 小沢一郎にいたっては、『日本改造計画』での主張を180度変えてしまい、ロジカルどころか、何の一貫性もなく権力のために離合集散を繰り返す政治屋となった。
 これを「変節」や「劣化」と見做すか、ただ単に「メッキが剥がれただけ」と見做すかは人それぞれ。ともかく、「日本の政治に思想はない」という事実を裏付ける結果に終わった。