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正義と微笑

numb_86のブログ

ムダを探す政治から、必要を探す政治へ 財政赤字の背景にあるもの

 消費税の引き上げや軽減税率について、しきりに報道されている。

 そもそもなぜ増税されるのかといえば、日本は深刻な財政赤字であり、このままでは財政が危機的な状況になってしまうからだ、とされている。

 また、財政赤字の原因の一つとして、増加し続ける社会保障費が挙げられることが多い。少子高齢化が進む中で、社会保障費を抑制するのは至難の業だろう。


 社会保障福祉)をどうやって維持していくのか。
 拡大し続ける財政赤字をどう解決するのか。

 これらについては実に様々な議論があるが、そのなかで、とても興味深い記事を見つけたので、メモしておく。

 それによれば、財政赤字それ自体も問題だが、より深刻なのは、国民が抱いている「痛税感」であり、その背景には「他者に対する不信感」がある。

 納税や社会保障の議論の背景にある、「他者や共同体に対する不信感」。
 本質を突く、とても重要なテーマに思えた。


 視点・論点 「財政赤字はなぜ膨らんだのか」 | 視点・論点 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス


 この筆者によれば、財政赤字の原因は、少なすぎる税収にあるようだ。

 「まずはムダを無くそう」「身を切る改革を!」という言説をよく見かけるが、既に日本は、先進国のなかでトップクラスの「小さな政府」である。
 財政規模にしても、公務員の人員規模にしても、その割合は非常に小さい。

 その一方で、これも他の先進国との対比で、租税負担は小さい。つまり、税金はかなり安い。

 つまり、財政赤字の原因は、政府が無駄遣いをするからではなく、税収が少ないことにあるという。


 だから、財政赤字を解消するためには増税が不可避、ということになる。
 ここから、なぜ日本の税率は低いままなのか、増税に対する抵抗が強いのか、ということが考察されていく。


 予め断っておくと、私自身は、必ずしも消費税の引き上げが必要だとは思っていない。
 早く財政黒字にしないと大変だ、日本が破綻してしまう、という危機を煽る言説に対しても、現時点ではかなり懐疑的である。

 だから、増税が必須と考えているであろう筆者とは、財政に対する考え方が違う。

 しかしそれでも、ここから展開されていく租税に対する考察は、とても興味深く、非常に本質的な議論に思えた。


 ある調査によれば、日本人は「痛税感」が非常に強いという。これは、税に対する主観的な負担感である。
 国際的には軽いはずの税を、重いものだと感じてしまっている。

 だからこそ、増税に対して強い抵抗感を抱いてしまう。

 ではなぜ、「痛税感」が強いのだろうか。


 筆者はいくつか理由を挙げているが、例えば、再分配が上手くいっていない。
 以前は公共事業などで利益分配が行われていたが、様々な要因で、公共事業は抑制されるようになった。

 さらに、社会の変化によって新しいニーズが生まれたが、それが満たされることもなかった。
 代表的なのが、保育園の不足、待機児童の問題などだろうか。私が知らないだけで色々な施策が行われているのかもしれないが、結果を見る限り、上手くいっているとは言い難い。

 つまり多くの国民は、公的なサービスの恩恵を受けていない、と感じているのだ。
 だから、税金に対する負担感が強くなってしまう。

以前の利益分配がストップし、新しいニーズが満たされないまま、財政再建への増税が求められる。税の負担感が大きくなるのも当然です。


 他にも、いくつかの理由が紹介されている。
 だが最も根源的かつ深刻なのは、「他者や共同体に対する不信感」である。
 これこそが、「痛税感」の背景にある。

「政府はどうせムダ使いをする」「低所得者生活保護を不正受給している」「高齢者は病気でもないのに病院にいく」私がこれまで散々聞いてきたこれらの批判は、つまるところ、日本人は、政府や人間を信用していないと表明しているに過ぎません。事実、いくつかの国際調査を見ますと、政府や人びとに対する日本人の信頼感は、先進国の底辺レベルにあります。目を覆いたくなるような現実です。 


 このような不信感は、当然に、納税への抵抗感を生む。
 払いたくなくなってしまう。
 税金は、同じ社会に属する者同士の支え合いだが、その支え合っているはずの相手が信用できなければ、とても税金を払う気にはなれない。

周りの人が脱税をしている、自分より負担が軽いと疑えば、税を払う意欲を失います。政府が税を正しく使っているという信頼がなければ、増税への反発は強まります。それ以前に、なぜ私たちは、疑わしい人のために、税を払わなければならないのでしょうか。租税抵抗がもたらしているのは、財政危機という数字上の危機ではなく、信頼と連帯の崩壊、すなわち社会の危機なのです。


 繰り返すが、私は財政赤字に対して、あまり危機感を持っていない。
 問題ではない、とまでは言わないが、経済の収縮やデフレのほうが、よっぽど大きな問題だと思っている。
 国家財政と家計を同一視して単純に「赤字=絶対悪」とするのも、違うと思っている。

 しかし、筆者が抱く「信頼と連帯の崩壊」に対する危機感には、深く共感する。

 財政赤字そのものより、こちらのほうがはるかに大きな問題に思える。
 社会の土台が崩れてしまっているのだから。
 信頼し合い、支え合うという、社会保障の前提が壊れかかっている。


 仲間である、共同体の成員である。こういう連帯意識がないと、前向きな気持ちで納税することは出来ない。

 あたかも、懲罰や不当な搾取のように思えてしまう。
 そして、税金で食べている人に対する、言いがかりのようなバッシングにつながってしまう。

 また、自分もこの共同体の一員であり、困ったときは助けてもらえる、支えてもらえる、という信頼感や安心感もないと、払う気にはなれないだろう。
 払い損のような感じがしてくる。
 「低所得者」や「既得権益」といった、自分以外の「ずるい奴ら」の懐を肥やすだけのように思えてしまう。


 筆者は、信頼を取り戻すためには、何らかの「共通点」が必要だという。
 そして、北欧諸国を例に挙げ、次のように述べる。

誰もが必要とするサービスを中間層にも、富裕層にも、等しく提供する、ここがカギです。生きること、暮らすことへの安心を誰もが分かち合いながら、価値観を共有できるからこそ、サービスの質を落とし、低所得層を切り捨てるのではなく、全員で税負担を高め、生活を守るという決断ができたのです。

 そしてこのように結んでいる。

大切なのは、人間が共感し合える社会のために、どういう財政を作ればよいのかを考えること、そしてそれが、財政再建への近道だということです。ムダを探す政治から、必要を探す政治へ。財政再建への道は、これまでの政治のあり方、社会のあり方を根本から見直す、絶好のチャンスと捉え直すべきかもしれません。


 本当にそう思う。

 目先の数字に追われるよりもまず、そもそもどのような財政にするのか、言い換えれば、我々はどのような社会を作っていくのかを、考えるべきだ。
 それに比べれば、テクニカルな議論は、はるかに劣後する。

 信頼や共感を育むために、どのような財政にするのか。
 どこからどのように徴収し、何に対してどのように分配するのか。
 その基本的なデザインこそがまず先にあり、議論の出発点になる。