読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

正義と微笑

numb_86のブログ

「何にでもなれる自分」を捨てる、諦める 2015年12月の活動報告と、今後の方針

  • 読書
  • JavaScriptの勉強
  • 経済サイクルチェッカーを作った
  • 創作活動
  • 体調を崩していた
    • 喉をやられた。年々身体が弱くなってきている気がする……。
  • ランニング
    • 体調が悪くて、それどころではなかった。


 事業にしろ人生にしろ、よく言われるのが、「選択と集中」。
 大切なのは「何をやるか」ではなくて「何をやらないか」であり、やるべきことにのみ注力することでこそ、成果を得られる。


www.mana-cat.com
blog.livedoor.jp


 このブログにも何回か書いてきたし、ずっと、気になっていることだった。
 選択しないといけないという意識を抱きつつも、それを先延ばしにし続け、問題意識を押し込めていた。

 それが、ここ数年の自分だと思う。
 本当は気付きつつも、気付かない振りをしてきた。
「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせ、決断を避けてきた。

 危機感が薄かった。


 今もまだダメだが、少しずつ、危機感は強まりつつある。
 選択を迫られつつあるんだと感じている。
 これ以上選択を留保し続ければ、人生を空費してしまうだろうと感じている。


 何かを選ぶことを、避けてきた。それは、未来を狭めることだから。
 選択をしない限り、無限の未来がある。どんな可能性も存在する。

 それを手放したくなくて、選択を避けてきたのだ。


 だけどそれじゃダメなんだ。
 結局、何も得られない。


 わずかながら、覚悟や危機感が育ちつつある。
 年齢を重ねただろうからな。否応なしに、少しずつ、人生に対してシビアな見方をするようになる。現実を知る。

 ここ数年の自分のダメさ加減を考えれば、方針転換せざるを得ないだろう。ぼんやりとしたビジョンは既に破綻しつつあることを、認めるしかない。


 選ぶ。選び取って、それ以外のものは全て投げ捨てる。
 では、何を選べばいいのだろう。


 自分があと1年で死ぬとして。
 やりたいのはなんだ?
 何をして、死にたい?
 何をしなかったら、悔いが残るだろう。
 

 死ぬ、ってのはイメージしづらいな。ありえない話ではないが、想像しにくい。

 時間が奪われるとして。親の介護なり、自分の病気なりで、時間がなくなるとする。
 残された時間は1年。1年後、療養で休む羽目になるとする。自由は当分失われるとする。

 そうなった際、俺は、どうしたいだろう。
 その1年で、何をしたいだろう。
 何をやっておかねば、心にしこりが残るだろうか。


 それをイメージして、思い浮かんだものを選び取る。

 そして、いろんなことを諦め、受け入れる。
 天才ではない自分。特別ではない自分。卓越してはいない自分。ごくごく凡庸で、たかが知れている自分。