正義と微笑

numb_86のブログ

ハクティビスト、アーロン・シュワルツ

一般的にはあまり話題になっていなかった気がするが、先日、「ウェブの誕生」から1万日が経過した。

「World Wide Web」が生まれて10000日が経過 - GIGAZINE

ティム・バーナーズ・リーによって生み出されたウェブのおかげで、インターネットの可能性は大きく広がった。

そして、自由やオープンといった価値観を重視するバーナーズ・リーに強い影響を受け、彼と同様、「自由なインターネット」のために行動し、26歳の若さで自ら命を断ったのが、アーロン・シュワルツである。

天才プログラマから自由の闘士へ

幼少時からコンピュータに触れていたシュワルツは、10代半ばの頃には既に天才プログラマとして知られていた。
彼の業績は多岐にわたるが、例えば、初期のRSSクリエイティブ・コモンズの開発、仕様策定に携わっている。

その後、入学したスタンフォード大学にうんざりしたこともあり、起業。
運営していたサービスは急成長し、売却に成功した。
シュワルツは売却先の企業の一員として働き続けるが、大企業のカルチャーは肌に合わなかったらしく、程なく解雇されている。

彼はその後、政治活動に対する関心を深めていく。

特に強い関心を持っていたのが、知識や情報への自由なアクセスと、その保障、である。
公的な情報、公共の財産、そういったものに対しては誰もが自由にアクセスできるべきだし、その実現のためにインターネットは大きな力を発揮してくれる。

しかし現実には、そうはなっていない。

情報は閉ざされ、検閲されている。著作権による制限がなく自由にアクセスできるはずのパブリックドメインにすら、満足にアクセス出来ない。
シュワルツはそのことに強い憤りを感じており、具体的な行動を開始していく。
その一つが、裁判記録の開放である。

裁判記録の開放と、FBIからのマーク

連邦裁判所の記録は、PACERというシステムを使うことで、オンラインからアクセスすることが出来た。
しかしこれは有料のシステムであり、1ページ毎に課金されるため、自由にアクセスできる状態とは言い難いものであった。
裁判記録という公的情報に、クレジットカードが無ければアクセスすることすら出来ないのだ。
また、システムの利便性そのものも、あまりよくなかったという。

技術書の出版で有名なオライリーの創業者、ティム・オライリーも、PACERを批判している。

法律というのは我々の民主主義のOSです。それを見るのに課金が必要?
それってちっとも民主主義じゃないですよね
『The Internet's Own Boy: The Story of Aaron Swartz』より

裁判記録のような公共性の高い情報への、自由なアクセス。
それを保障することで、より自由で透明性の高い社会を作っていける。

そしてインターネットは本来、そのような自由やオープンといった価値観と相性がよい。それを人為的に歪めてしまえば、せっかくのインターネットの価値や魅力を大きく損ねてしまう。

非難が高まったことを受けPACERは、裁判記録の無料公開を開始する。
しかしそれは、ごく少数の特定の図書館からのみ、自由にアクセスできるというものだった。それ以外のアクセスは引き続き、料金の支払いが必要だった。

これを不十分な措置だと判断したシュワルツたちは、対象である図書館に赴いて資料をダウンロードし、それを自分たちのデータベースに蓄積、公開することにした。
こうして彼らは、誰でも、どこからでも自由にアクセスできる、裁判記録2000万ページ分に相当するデータベースを作り上げることに成功した。

しかしこの件でシュワルツは、逮捕こそ免れたものの、FBIの捜査を受けている。

JSTORへのアクセスと、逮捕

「知識と情報への自由なアクセス」に対するシュワルツの情熱は揺らがず、続いて彼は、学術論文誌を出版する機関について調べ始めた。

彼は、裁判記録だけでなく、学術論文へのアクセスもまた、閉ざされていると考えていた。

通常、学術論文にアクセスするためには、そのためのライセンス料を支払う必要がある。
執筆者である研究者たちに、ではない。
それを管理する出版社に対して、である。

この現状を問題視している人たちによれば、出版社が不当に上前をはねているのだという。

シュワルツも、同様の内容の文書を残している。
Aaron Swartzによるゲリラ・オープン・アクセス・マニフェスト

公共性の高い価値ある論文は、まさに価値があるがゆえに、私企業に囲い込まれている。
だがそれは不当である。利潤のために公共の財産を占有することは許されない。

そう主張する彼は今回も、具体的な行動を開始する。

シュワルツにとって、思想と実践はセットであり、何かを主張しながらそのための行動を起こさないということは、あり得なかったのかもしれない。

論文管理サイトの一つであるJSTORにアクセスし、プログラムを用いて片っ端から論文をダウンロードしていった。

この行為はやがて露見し、検察は彼を逮捕した。

この行為の直接的な動機は、今も分かっていない。
検察は、シュワルツは商業的利益のために今回の事件を起こしたとしている。

その後シュワルツは保釈され、当事者であるJSTORは、シュワルツに対する起訴を全て取り下げた。
しかし検察は、シュワルツには35年の懲役、100万ドルの罰金を課すべきという、常軌を逸した声明を発表した。

情報の窃盗は罪である。
しかし物事を判断する際は、慎重に検討しなければならない。
シュワルツは、ダウンロードした論文を売却したわけではない。システムをクラッシュさせたわけでもない。他者のプライバシーを侵害したわけでもない。
情報の窃盗とは言え、例えば、他人のクレジットカードの情報を盗んだのとはわけが違う。

勝利と自死

裁判を戦いながらも、シュワルツは自由のための戦いを止めることはなかった。

SOPAの廃案にも、大きく貢献したという。

SOPAは元々、オンラインの海賊行為に対抗するために作られた法案だった。しかしこれが成立すれば、確たる証拠がなくてもインターネットを検閲、規制できるようになってしまい、表現の自由が脅かされると、一部から懸念の声が上がっていた。

シュワルツはSOPAへの抗議活動に参加し、大きな役割を果たした。
SOPAへの批判は日に日に高まっていき、そしてついに、不可能と思われていた廃案を実現したのである。

しかし、検察による執拗な攻撃によって、彼は衰弱していた。多額の裁判費用で、資産も底をついていた。
そして2013年1月11日、自ら命を断った。

彼の死後、いくつかの変化があった。
JSTORは、パブリックドメインの論文を無料で公開するようになった。
シュワルツの逮捕、起訴の根拠とされたいくつかの法律が、改正された。

インターネットの理想とその現状

アーロン・シュワルツの人生は、インターネットの理想と、その残念な現状を示してくれている。

彼は何のために戦ったのか。

情報の公開と、それに対する自由なアクセス、それを守るためである。
これこそが、インターネットの中核的な価値の一つだと思う。

しかしそれは約束されたものではなく、常に脅かされている。
インターネットに対する過剰な恐怖と憎悪を抱く政府によって。
私益を追求する企業によって。

そして私たち自身が、自ら自由を手放してしまうこともある。
利便性やセキュリティを重視し、自由やプライバシーを手放す選択をしてしまう。それが一概に悪いわけではないが、プラットフォームである大企業に対する依存は、自由やオープンといった価値観との深刻な衝突をもたらす恐れがある。

「自由なインターネット」は保障されたものではなく、常に危機的状況にある。
アーロン・シュワルツの理不尽な死は、まさにその象徴ではないだろうか。

参考資料