正義と微笑

numb_86のブログ

2019年6月


先月、「プログラミングを言い訳にしない、プログラミング以外にもやるべきことをやる」みたいなことを書いたが、わりと出来たと思う。
進捗そのものはともかく、時間の使い方として、プログラミングの比重を避けることが出来た。

プログラミングは平日に目一杯やって週末はやらない、という方針を立てたが、わりと守れた。
月の後半は怪しかったが。
コンディションの問題もあるし、自分にはままならない事象もある。今年はあまり状況を動かさないようにしてきたが、自分以外の要素によって変化が生まれてしまった。そうなってしまうと、そのための対応が必要になる。

一番よくないのは、こうやって迷っていること。何に投資するか決めかね、あらゆることが中途半端になってしまっている。
何をやって何をやらないのか、決めないといけない。

飢え

今朝、この記事を読んだ。

記事自体も面白かったが、このコメントを読んで、「ああ、確かにそうだなあ」と思った。

男の生き方

女の生き辛さは「不安」だけど男の生き辛さは「飢え」だから。今に満足したいわけじゃないんだよ。

2019/06/21 03:45

他の人はどうだか知らないけど、自分には確かに当てはまる。あらゆる面で、現状に全く満足していない。
生きづらさという文脈でも、「不安である」というよりは、「求めても手に入らなくて苦しい」というほうが実態に近い。

以下の記事に「欲望を消すことができないまま、しかしそれを実現する回路を断たれるという状態」というフレーズが出てくるが、まさにそれだ。

欲望の灯を消すことは出来ない、しかし欲望を満たすための資質や資本が自分にはない、という苦しみ。
苦しんでいる人たちも好きで求めているわけではなく、その欲求こそが苦しみの根源であることは分かっているが、それでも欲求自体を消すことは出来ない。むしろ、満たされないからこそ余計に執着を強める。

自分がプログラミングをやっているのも、現状への不満が理由かもしれない。
なぜ精力的にプログラミングをしているのか、なぜ余暇の時間でもプログラミングをしているのか。
「楽しいから」というのが最大の理由だが、「もっと上手くなりたいから」というのも、確かにある。この程度では全く満足できない。この程度で終わりたくはない。

こういう、「飢えを満たす」ような志向になったのはいつからだろうと考えたが、引きこもっていた経験が大きく影響を与えているかもしれない。
引きこもっているときは、とにかく苦しかった。自分が情けなかったし、惨めであり、華やかな同世代に対する劣等感と憧憬がすごかった。
なんとか外に出れるようになったあとも、人とまともに会話できなくて、苦しかった。話術がどうとかではなく、単純に勇気がなかった。
いつも部屋で一人で自分に対して憤っていたし、自己否定を繰り返していた。
でも、そういう悔しさや惨めさを原動力にしたことで、なんとか、少しはマシな人生になった。前述のように、何もかも、全く満足していないけれども。

苦しい、どうすればいいか考えて行動する、失敗する、また行動して今度は少しだけ成功して満たされる、というプロセス。20歳前後の頃はずっとそんな感じだった。
そしてその後も、そのプロセスが自分の軸になった。「30歳無職から独学でウェブエンジニアに」というのも、結局はそういうことだし。

だから、自分にとって「飢え」は必ずしもネガティブなものではない。むしろ飢餓感がなければここまで来れなかったと思う。それが無ければ、グズグズと不本意なまま今でも引きこもっていたかもしれないし。

ただこれは、たまたま上手くいったから成立しているに過ぎないとも思う。
「飢え」を原動力にしてここまで来たけど、いつか「飢え」は呪いになって返ってくるのかもしれない。
そもそも今までだって、「勝利」ばかりではなかった。辛酸を舐めてきたし、敗北感を味わってきた。それでも「次こそは」と思うことで、奮起してきた。
いずれ、欲望を実現するための回路が完全に断たれてしまい、「次」に気持ちを向けることも出来ず、飢えに苦しみながら生きるときがやって来るのかもしれない。